パリの中高年が「裸族ビーチ」の虜になる理由 衣服から開放される「心地よさ」は想像以上だ
そして、アンダーヘアをうっかり処置しないで入ってしまうと、珍しがられて恥ずかしいことになりかねません(「パリ男女の「性器周りケア」は、超先進的だ」参照)。日本人をはじめ、アンダーヘアを脱毛する文化がないアジア圏の人は、利用者の中でとても少数派なので、目立ってしまいます。
こうした全裸だらけの風景は、数時間で慣れてしまうもの。もう何とも思わなくなります。エロスとはいかに想像の産物であるかが再認識できます。ナチュラリズムとは人の裸を見るのではなく、自分が裸であることの心地良さを愉しむことなのです。
あとは、ビーチの木陰でドイツから来たカップルと友達になって、文化から政治に至るまでの会話を楽しむもよし。水着の濡れた心地悪さ感じる必要もなく、そよ風を全身で受け止めるもよし。センシュアル度、全開です。
人から聞いたにしてはやけに具体的な説明じゃないかって?繰り返しますがあくまで友人から聞いた思い出ですよ。くれぐれも誤解しないでくださいね。
欧米人にとって「全裸でも安全な自然」は楽園だ
自然であることを楽しむナチュリストたち。あなたが「自然」という言葉をから思い浮かべるイメージはどんなものですか?日本人は「緑の山を背景にした田毎の月」であり、欧米人は「なにもない茫漠たる砂漠」や「未開の原生林」だそうです。
後者が人の手がまったく入っていない「ワイルド」であれば、日本の自然は営々と築き上げられた「人工の美」です。吉野の山桜然り、故郷の水田や畑然り。先人が作り継承してきた自然、優しく人に寄り添ってくれた日本の自然。
それに比べ、欧米の自然は荒々しい野生そのもの。人間は自然と厳しく対決し、征服しなければ生きていけませんでした。そんなところで裸体でいるなんて正気の沙汰ではありません。大事なところを隠さず歩いていたら、不測の事態に陥ることだってあります。
だからこそ、彼らにとって全裸で安全な自然に囲まれる場所があるなんて、天国に来たどころか、エデンの園以上なのでしょう。
もっとも、日本の場合は、温泉に行けばいい。ナチュリストの気持ちを体感することができます。ヌーディストビーチの開設が幾度も話題になりながら、結局実現しないのは、そんなところに原因があるのかもしれませんね。
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