伝説の経済学者「宇沢弘文」を知っていますか スティグリッツが師と仰ぐ日本の「哲人」とは

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お話ししたいことはほかにもたくさんあります。シカゴでの数年間は、本当によく一緒に時間を過ごしました。こんなこともありました。ある時、先生はイェール大学からシカゴに招いた若い経済学者をためらいながら批判されました。その経済学者は不平等の問題を、強い懸念を持って研究していました。半面、彼は裕福な両親のもとに生まれ、とても素敵なスポーツカーまで与えられていました。宇沢先生は、「不平等が問題だと言いながらあんなスポーツカーに乗るのかね?」と首を振っていました。これは先生が価値観を貫いていたという事例です。

といっても、先生は誰に対しても優しく接しました。サマースクールでのことですが、私たちは10時間から12時間に及ぶ長い会合で、経済学的なさまざまなアイデアについて議論をしました。経済学が生活そのもののようになっていたのです。先生はそのようなディスカッションの場だけでなく授業も持っていたので、私はそちらにも参加しました。先生が教える内容を聴き、実際に授業も見ようと考えたのです。授業が始まった時、先生は学生に、この講座から何を得ようとしているか、なぜこの講座を選択したのかと尋ねました。すると、ひとりの若い日本人学生が「私は成績表にAがほしいのですが、先生は全員にAを下さると聞いていますので」と答えたのです。ほかの学生たちは、先生がこの成績第一主義の学生とどうやり取りするかを大変興味深く見守っていましたが、結局、先生はこの成績主義の学生も大変寛大に扱われました。

ジョセフ・E・スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)/コロンビア大学教授。2001年に「情報の経済学」を築きあげた貢献により、G・A・アカロフ、A・M・スペンスとともにノーベル経済学賞を受賞。イェール大学、オックスフォード大学、プリンストン大学、スタンフォード大学を経て、現在はコロンビア大学教授。その研究活動の範囲はきわめて幅広く、ノーベル経済学賞の受賞理由となった「情報の経済学」のほかにも、時間とリスク、金融市場、財政、貿易、経済発展・開発など、経済学の多様な分野に新しい角度から鋭い分析を行い、多大な貢献がある(撮影:尾形文繁)

宇沢先生のシカゴ大学時代は、スタンフォード大学にいた時期と同じく、知的生産性が非常に高い時代でした。先生は間違いなく最も多くの業績を残した経済学者のひとりであり、さまざまな学問分野にわたる問題について、数多くの論文を書き残しています。先生は大変魅力的な人柄の持ち主ですから、先生がシカゴ大学を離れようと決めた時には、皆が必死で説得して引き留めようとしたほどでした。しかし当時、アメリカはベトナム戦争に参戦しており、先生はお子さんが暴力的な環境に巻き込まれないようにしたいと考えていました。先生はご家族を守るために日本に帰ることを決断したのです。

先生がアメリカを離れた時、私たちの誰一人として、日本で先生のその後の人生がどのように変化していくかを想像できませんでした。日本への帰国後、皆さんもご存知のように、先生は学者として研究に没頭するだけでなく、自動車が引き起こす社会問題や環境問題にかかわっていくようになりました。

私自身も環境問題に取り組むようになってからは、先生が果たした役割、そして先生の知的活動が時とともにどう発展していったのかについて考えを巡らせるようになりました。先生をアメリカやイギリスにお招きして、環境問題や気候変動に関する研究についての講演をお願いする機会もありました。最後に私が先生とお話ししたのは数年前、京都でのことでした。その時、先生と竹についてすばらしい議論を交わすことができました。竹は先生が後年、関心を持っていた分野のひとつなのですが、気候変動や温室効果ガスの削減に際して大変有用だと考えられている物質なのです(編集部注:宇沢氏は、竹は、再生産期間が極めて短いことから、持続的に再生産できる天然資源となる可能性を指摘。その多様な構造的特質から工業利用の可能性も大きいとして、研究の必要性を訴えていた)。

地球の限界の問題に対して、経済学は何ができるのか

宇沢先生は常々、私たちにすべてのことに疑問を持つように、と教えてくれました。私は今でもこの教えを守っています。そこで、経済学の新しいアプローチである、選好の内生性を重視するということについてお話ししたいと思います。

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