伝説の経済学者「宇沢弘文」を知っていますか スティグリッツが師と仰ぐ日本の「哲人」とは

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宇沢先生は、私自身はもちろん、ジョージ・アカロフ教授をはじめ、私と同年代の多くの経済学者の人生に大きな影響を与えました。シカゴにいる間、私たちは、ほとんど毎日のように夕食を共にしました。私は飲めないのですが、先生はお酒を楽しんでいましたし、他の門下生たちも同様でした。私たちは、飲みながら、経済学だけでなくいろいろな話をしました。先生はその人生観や、日本についての考え――第二次世界大戦後に日本に何が起こったのか、戦後の復興、将来日本が進むべき道筋などについて、私たち学生に圧倒的な情熱を持って話してくれました。

宇沢 弘文(うざわ ひろふみ)/1928~2014年。東京大学理学部数学科卒業、同大学院に進み、特別研究生。1956年スタンフォード大学に移り、同大学経済学部助教授、カリフォルニア大学助教授を経て、シカゴ大学教授。1969年東京大学経済学部教授。その後、新潟大学教授、中央大学教授、2003-2009年同志社大学社会的共通資本研究センター長等を歴任。1997年文化勲章受章(撮影:代 友尋)

数学的手法を活用する能力に秀でていた宇沢先生は、私たちに最新の手法を紹介してくれました。たとえば先生は当時、微分位相幾何学の研究で知られるレフ・ポントリャーギンの理論に大変傾倒しておられ、それを問題解決に応用することを教えました。しかし、私たちが感銘を受けたのは、先生が数学的手法を使いこなすだけでなく、それを重要な社会的意味合いを持つ問題を解決するために応用しようとした点にあります。

多くの人は、先生の「二部門成長モデル」(編集部注:宇沢氏の代表的な論文のひとつ。経済成長のモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練された形にした)論文を読んでも、その研究意欲と決意の深さの真価を理解できないと思います。それはその背景にマルクス経済学の概念があることに気づかないからです。マルクス経済学は私たちがアメリカで学んだ経済学の対極にあり、私自身の経済学者としてのキャリアがいずれ向かうであろう方向からも遠く離れたものでした。しかし先生は、終戦直後の日本で熱烈に受け入れられたマルクス経済学の考え方の一部を現代の経済学に取り込もうとしたのです。先生は不平等の研究に数学をどう活用するかということにも強い関心を寄せており、私はその難題に強く惹かれました。それがきっかけとなって、当初考えていた物理学の専攻をやめ、経済学の道に進むことにしたのです。

研究にかける情熱

私は社会における不平等の問題に関心があったのですが、そうした問題に対する宇沢先生の姿勢は「毎週ひとつの論文を書き上げるほどの熱の入れようだ」と評されていました。これほどの情熱を持ってそうした研究に取り組んだ人はほかにいないでしょう。また、先生は戦争と暴力という今日的な問題にも熱意を持って取り組んでいました。私とリンダ・ビルムズの共著The Three Trillion Dollar War (邦訳『世界を不幸にするアメリカの戦争経済 イラク戦費3兆ドルの衝撃』)は、先生にこそ見ていただくべきだと思いました。その本は、アメリカが参戦した、必要のない破壊的な戦争に対して、経済学者がどのように声を上げることができるか、ということを書きつづったものなのですが、その内容を適切に評価してくれるのは先生以外にないと思うからです。

もうひとつ宇沢先生に関してお伝えしたいことがあります。それは先生が持っておられた人生観です。先生は、人の人生はそれぞれが持って生まれた価値を探求し続けることにある、という信念を持っていました。

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