「大学付属校」の内部進学がズルく見える理由 なぜ、内部推薦や他大受験規定を隠すのか
しかしそもそも、この情報を入手するためにそんなに苦労しなければいけなかったのはおかしいと、私は思っている。各付属校がどういう基準で生徒を評価し、内部推薦を出すのかは、そのままディプロマポリシー(単位・卒業認定方針)を表すはずだ。どんな人物を育てたいと思っているのかを如実に表明しているはずだ。だとすればなぜそれを隠すのか。
包み隠さず表明するのが真摯な態度だ
なにも重箱の隅を突くような情報が欲しいわけではない。学校として、生徒のどんな面に光を当てて評価してあげたいと思っているのかという非常に重要な部分を知りたいだけなのに、一部の学校からは「なぜそんなことを聞くのか?」「そこまでは言えない」というようなけげんな対応を何度かされた。
その点、前述の立教池袋の評価基準は非常にわかりやすい。他校も同様に、「自分たちの評価基準はこれだ」と宣言できないことに疑問を感じる。中央や法政のように、他大学受験に対するポリシーをはっきり示すことも、大切だ。「他大受験は認めない」でもかまわない。それを包み隠さず表明することが、生徒の将来への真摯な態度だと私は思う。
それをしないから、「内部進学」に対する「ズルい」とか「やましい」印象が拭えないのではないか。大人の事情があるのはわかるのだが。
息子を某付属校に通わせていたある保護者の声が象徴的だ。拙著から引用する。
「(大学付属校の善し悪しは……)受験がないことを活かし、いろいろなことにチャレンジする校風、システムになっているか。そしてその結果としてのいろいろな個性をきちんと評価するシステムになっているかが鍵。しかしその点、息子の通っていた学校は大いに未熟で勘違いしている。
数学のコンテストのようなもので何らかの実績を上げると加点されたりする一方で、部活はまったく参考外。要するに、部活などやらずに毎日コツコツ勉強し、お勉強系のイベントなどに参加し、点数を稼ぐ優等生タイプの生徒が有利なシステムだ。これでは普通の進学校から指定校推薦で大学に入るのと変わらない」
せっかくの大学付属校が、口では「大学受験に縛られない本質的な学び」と言いながら、実際にはペーパーテストでいい点を取らせることに必死になっているのだとしたらもったいない。
各大学付属校が内部推薦の審査基準、すなわち学校としてのディプロマポリシーや他大学受験へのルールを堂々と公言すれば、大学付属校から、絵空事ではない「新しい学力観」が発信できるのではないだろうか。それが大学入試改革の方向性にも影響を与え、日本の教育全体を変えることだって、十分ありうる。
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