ねずみとベルギー人僧侶に見る"真の国際化"

ダボス会議に集う”若き才能”たち

グローバルで活躍するさまざまな若手リーダーたちと対話を重ねる中で気がついたのは、「こだわりがない」という共通点です。もちろん、それぞれの分野で大きな成果を上げている人たちなので、それぞれ「使命」や「ビジョン」に対して人一倍強い思いを持っています。

坊主の感じた”グローバル”とは?

しかし、だからこそ、それを実現するための妨げとなるような小さなことには、まったくと言っていいほどこだわりを持っていないのです。彼らにおいては、私が無意識に身に付けてしまっているような島国根性は限りなく薄く、地球規模の課題に取り組むために、国家という枠組みも相対化して眺める視野の広さを感じました。

貧困、エネルギー、戦争、環境……。現在、地球規模の社会課題は山積みです。しかし、これらの課題を解決する方策を話し合うのは、各国を代表する首脳同士であり、いまだ「国家」という枠を抜け出ることができていません。そのような中、自分が取り組む課題について、国境を軽々と越えて世界で活躍する若手リーダーたちの活動には、大きな希望を見いだしました。

たとえば、親しくなったベルギー人は、大型ネズミのラットを調教して、地雷を探させるNPOを世界で展開しています。絶対に不可能と言われた調教技術を開発し、事業化にこぎ着けたのだそうです。以来、タンザニアにNPOの本部を設置して現地へ移り住み、地雷を撤去するプロジェクトを進め、支部を世界中に広めています。彼は日本仏教の禅僧でもあり、いつも作務衣を着ているのですが、もうまったく国境などは意識していないように見えました。このように、YGLでは本当に多くの人が、グローバル感覚で生きているのを感じました。

グローバル感覚とは何か。一言でいうと、「国民である前に、地球人である」という感覚だと思います。自分の使命やビジョンを信じ、国境など関係なく、地球人として自分の果たすべき役割を果たすということです。そのためには、つまらないことにはこだわらない。自分の持っているものを気前よく差し出し、よりよい世界づくりのために貢献する。自らのためだけでなく、他人のために働き続ける存在。これはまさに、仏教で言うところの菩薩の姿です。もちろん、みんな怒ったり悲しんだりする普通の人間ですが、そのボーダーレスな働き具合には、つい菩薩の姿を重ねてみてしまいました。

日本でニュースに触れていると、「グローバル人材」という言葉とともに、子どもをアメリカに留学させろとか、外資系企業で働けとか、英語を身に付けろとか、そのようなHow論が話題になることが多いようです。

しかし、それらの提案はむしろ国境を意識しすぎているという点で、グローバル感覚から遠ざかっているようにも感じます。もちろん、英語を身に付けることで間違いなく活動範囲が広がりますので、それは大いに結構なことです。しかし、菩薩道がHow論ではないのと同様に、グローバル感覚を持って生きるということは、海外に住むとか、英語を話すとかいうことではないはずです。

たとえ島国日本で生まれ育ち、とある町の、とあるお寺のローカルコミュニティに身を置く僧侶であっても、世界の出来事に関心を持ち、広い視野を養って、自利利他の精神で人のために働き続けるならば、十分にグローバル感覚を持っていると言っていいでしょう。

大切なのは、かたちじゃなくて、そのこころですね。

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