それが近代(1500~2010年)になると、実質GDP成長率はぐんと上がり、年0.22%となります(同期間で26.9倍)。特に第2次世界大戦後の1950年から、石油危機直後の1975年までの成長率は著しく、世界の1人あたりの実質GDPは年3.4%となりました。
ところが、日本が金融危機に直面した1997年から2015年までの1人当たり実質GDPは、年0.6%です。名目GDPで見ると、同期間で年マイナス0.6%になります。中世の成長率よりはまだましですが、名目利子率から期待インフレ率を差し引いた「自然利子率」がゼロ、ないしはマイナスであることを考えると、今後は中世のような定常経済と大きくは変わらない状況になると予想されます。
人口減少社会が到来していることも、中世に共通しています。中世の人口は、減少してこそいないものの、その増加率は年0.08%と、ほとんどゼロ成長でした。一方、近代(1500~2015年)の人口増加率は年0.54%で、とりわけ戦後(1945~1975年)は年1.82%と、人口爆発の時代となります。そして、それは同時に資本主義の黄金時代でもありました。
しかし、これは例外中の例外です。21世紀の前半に入ると、人口増加率はあっという間に減速し、2015~2050年には年0.80%になると予想されています。産業革命から第2次世界大戦まで(1850~1945年)の増加率、0.66%とほぼ等しくなるということです。
21世紀の後半には、年0.28%の増加率となり、産業革命前(1500~1850年)の増加率である年0.29%とほぼ同水準です。現代でも人口が増加を続けているアフリカを除けば、さらにマイナス0.12%となり、ついに世界が人口減少の時代を迎えることになるのです。
イギリスのEU離脱も「中世への回帰」の一潮流だ
2016年6月23日、イギリス国民はEUからの離脱(Brexit)を選択しました。これも「中世への回帰」の動向から理解することができます。EUはEuropean Union(ヨーロッパ連合)の略であり、ヨーロッパは「中世の創造物」だからです。これを理解するためには、まずヨーロッパという概念がいつからでき上がってきたのかを検討していく必要があります。
ヨーロッパは、地中海世界と北部ヨーロッパが一体化する過程で、徐々にその姿を現してきました。その原型は、およそ800年前にあり、現在のドイツ、フランス、ローマを含む北部イタリア、そしてバルセロナを含む北部スペインにあたる地域でした。そこで重要なのは、その中にイギリスが含まれていなかったことです。
この史上初のヨーロッパ形成体は、アラブ人が地中海を閉鎖したことで崩壊しました。現在のヨーロッパの大きな課題の1つであり、イギリスのEU離脱の原因の1つともなったのが、アラブや東欧からの移民問題であることを思うと、中世と同じ問題に直面していることが分かります。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら