第1に中西部の共和党に多い伝統的なアメリカ人は、政府は何もしてくれない、といった怒りに突き動かされているわけではない。海岸文化が象徴するものがリベラリズム、多様性、グローバリズムだとすれば、中西部の文化が象徴するのは頑ななまでの自立心であり、具体的には神への信仰と勤勉さと創意工夫だけを頼りに自ら切り開いていく生活と家族愛だ。
それは政府への疑念や公共の施策から取り残された疎外感ではなく、個人の生活を支配する権力への警戒と健全な懐疑、つまりはアメリカ伝統の保守主義である。彼らがトランプを支持したとすれば、怒りというより、リスクをとって自力で成功への道筋をつけた彼への尊敬と期待のほうが大きいように思う。これは筆者の彼の地での遠いが鮮烈な記憶からの推察である。
「実業家大統領」への憧れ
第2に、中西部でなくともアメリカという国は、他の文化と比べてビジネスマン、とくに独立独行の大実業家を讃える伝統が根付いている。昨年12月の記事「日本人が知らない"カネの国"アメリカの美徳」でも触れたが、彼らの間にはおそらく根強い実業家大統領への憧れがあった。
経営者から低賃金の労働者から零細の自営業者まで、私企業で働くビジネスマンは誰もが日々グローバルな競争にさらされ、とくにアメリカではいつリストラされるか、あるいは新興国の競合にシェアをうばわれるかといった強迫観念と緊張感のなかで仕事をしている人が多い。だから本物の実業家が政治のトップに立てば、同じ規律と緊張感をもって政府のリストラを進め、商売をなるべく楽にしてくれるのではないかという期待があったのかもしれない。
リスクを張って市場で戦うすべての事業者同様、トランプも政府による数多くの規制にとまどい、多くの従業員を抱えながら訴訟も戦い、胃の痛い思いを何度もしてきたことだろう。チャレンジしては失敗し、それを繰り返して大きな事業を築き上げた。法人税のカットはもちろん、複雑な法務・労務・税務などのプロセスの簡素化も進めてくれるかもしれない。ギャンブル性の高い不動産業出身であることはかなり不安だが、卓越した交渉能力で通貨安競争に歯止めをかけ、公正な貿易条件を担保してくれるかもしれない…、等々。
ヒラリー・クリントンが生涯をかけて立場の弱い女性や子供の権利や生活の向上のために戦ってきたことは尊敬に値する。多くのアメリカ人は「寛容な国民」だ。だがもしグローバル経済の荒波がアメリカの隅々にまで押し寄せてきているならば、より差し迫った課題は目の前のグローバル競争にどうやって生き残るかであり、現役世代のビジネスパーソンの大勢は、おそらくトランプの経営者としての手腕に賭けたのだ。
この期待は、ある限られた市場のなかでの社会正義に生きる政治ジャーナリストには、共有できないものだったのかもしれない(FOXテレビの司会者ショーン・ハニティーなど少数の例外はいたが・・・)。
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