32歳婚活女子、心に突き刺さる元カレの言葉 東京カレンダー「崖っぷち結婚相談所」<13>
その夜、杏子のスマホは何度も鳴っていたが、なかなか見る気になれなかった。
電話を鳴らしているのは知樹の可能性が高いし、もしくは、婚活アドバイザーの直人が、桜田とのマッチングの事後報告を求めているのかも知れない。
求めていたエサを目の前に出されても…
杏子は、動揺していた。
知樹との復縁は、婚活を始める前、杏子が最も望んでいたことだった。そもそも結婚相談所などというものに登録し、婚活に奮闘する羽目になったのも、元はと言えば、知樹にフラれたのが原因なのだ。
だからと言って、求めていたエサを突然ホイと目の前に出されても、簡単に手を伸ばすこともできない。意地、プライド、嫉妬。様々な感情が、心の中でドロドロと渦を巻く。
杏子は、知樹のことが好きだった。
商社マンの知樹の年収は杏子の半分以下ではあったが、外資金融に勤める身としては、彼に堅実さや安定感を感じ、素直に尊敬することができた。それに、同い年の彼には、気が許せることも多かったのだ。
しかし、気を許し過ぎたのが災いし、知樹は杏子とは反対に、「君といると疲れる」と言い、一方的に去ってしまった。またやり直すとしても、同じような失敗を繰り返すのだけは御免だった。心を開いたところで捨てられることほど、精神的に辛いことはない。
そこで、またしてもスマホが鳴る。杏子は深呼吸をして、恐る恐るスマホを手に取った。すると、なんと着信相手は、正木だった。
「ねぇ、杏子ちゃん、オレオレー。久しぶり!突然だけど、明日空いてない?杏子ちゃんに、改めてキチンと話したいことがあるんだぁ」
正木の声を聞いた途端に、杏子は知樹のことなど、スッカリ頭から抜けてしまった。
「明日、大丈夫です……!」
「じゃあ、ランチでもどうー?杏子ちゃんの便利な場所に行くよー!」
杏子は、この正木のセリフに感動を覚える。前回は遠く神楽坂まで足を運んだが、今回彼は、杏子の元まで会いに来ると言う。
「では、お言葉に甘えて……、虎ノ門ヒルズの『アンダーズ タヴァン』はどうですか?」
「了解―!」
杏子は、逸る気持ちを抑えるのに必死だった。「改めてキチンと話したい」ことなど、一つに決まっている。明日、とうとう自分は新しい恋人が出来てしまうのだろうか。
知樹との失恋も、飯島の前での失態も、陸ガメ男の悲劇も、無駄ではなかったのだ。ゴールに辿り着くための、障害物に過ぎなかったのだろう。
杏子は期待に胸を躍らせ、深い眠りについた。