最近、『毛沢東 大躍進秘録』(楊継縄著、文芸春秋)という本を読んだ。この本は新華社の記者だった作者が、1958~1961年に展開された大躍進運動の実態をえぐり出す作品なのだが、政治目的のためにいかに統計が恣意的に粉飾されたか事細かに描き出し、背筋が寒くなる。
大躍進政策は、鉄鋼生産や農業生産で「英国を追い抜き、米国に追いつく」という誇大な目標を掲げた国民運動で、あまりの非現実的な政策によって数千万人の餓死者を出したと言われる。その被害のひどさは、1960年代の文化大革命を上回るとも言われる。
当時、河南省のある県の生産大隊は、農地1ムー(6.667アール)当たりの作物が1000キロあると報告した途端、翌日に隣の大隊は1700キロと報告し、その翌日、別の大隊は3600キロだと報告したという、数字がロケットのように吊り上げられていく実例が紹介されている。こうしたことが国土の末端まで行われた結果、中国の統計では農業生産の合計が米国を上回るどころか、世界のすべての農業生産量まで超えてしまうという事態になった。
「改革開放路線」と統計
統計と政治の関係について、同書はこのように書いている。
「(大躍進時期の統計は)党と政府指導者の意図と指示を基準とし、大躍進路線の正しさの証明を主旨とした統計体制である。大躍進は成功のみが許され、失敗は許されず、それは数字の上で表現されなければならなかった。組織の圧力のもと、統計部門は次々と新記録をでっち上げ、上を騙し下を欺く統計データを作りだした」
この「大躍進路線」を「改革開放路線」に置き換えればどうだろうか?
かつて鄧小平は中国において「発展」が「硬道理」だと述べた。硬道理とは、揺らぐことのない理論であり、改革開放下の中国において経済発展こそがすべてに優先されるということだ。毛沢東の時代は「革命」や「階級闘争」が「硬道理」だったが「経済発展」が取って代わったのである。その結果、経済発展の象徴であるGDP統計を代表格とする経済統計が、中国において高度な政治性を有した形になったのである。
もちろん大躍進当時と現在の中国を同等に論じるつもりはない。国際社会の目も光っている。すべての統計が政治に左右されているわけでもない。しかし、共産党による統治の根っこにある「統計が政治に優先する」という観念は変わっておらず、GDPや貿易統計など有力な指標については、現在も政治の影響を受けやすいままではないのだろうか。
李克強首相は遼寧省党書記だった時期、「中国のGDP統計は人為的で参考値にすぎない」と発言したことがあった。この発言の本意がどこにあったかはさておき、中国人指導者の間でも自国でも統計は疑わしいという理解が一種の共通認識になっていることを実感させた。
アベノミクスの早すぎる崩壊となるかもしれない今回の株安、円高のきっかけとなったのが、HSBCの発表した5月の中国製造業購買担当景気指数の下落だったことは皮肉である。HSBCの統計は世界的に信用度が高い。これが中国政府の統計だったらここまで反響が広がったかどうか。
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