矢野:一度挫折したところから自力で大きくなったSMAPは、存在それ自体がジャニーズに対する批判であり続けていました。ですから、欲を言うならば、SMAPがSMAPのままジャニーズから独立するのが、いちばんSMAPらしかったと感じています。
ジャニーズはこれまで、強固な世界観を守ってきました。写真をネット上に載せてはいけませんし、SNSもしない。アイドルロマンと表裏一体の囲い込みのビジネスです。しかし、SMAPはそのロマンを引き下げつつもギリギリのところで維持していて、その最前線で闘っていたのです。ジャニー喜多川さんは「芸人」ではなく「芸術家」であることを求めます。基本的にはアイドルにコントをさせたくないんです。
ジャニーズの世界観は、ブロードウェイに由来する、きらびやかにドレスアップされたものであり、ディスコカルチャーです。高度な振り付けをこなしていた少年隊のようなイメージですね。一方、SMAPはGパンとTシャツでルーズに振る舞うクラブカルチャーを体現しています。踊りもズレている感じがクール。
唯一、元SMAPメンバーの森且行さんがジャニーズの本流であるディスコ的な魅力をもっていましたが、彼はオートレーサーを目指して脱退しました。SMAPはそれまでジャニーズに根強かったディスコ的な魅力を手放すことによって、そこからスターとしての階段を駆け上がっていきます。
このように、ジャニーズに対する批判的存在だったSMAPが、アイドルロマンや囲い込みビジネスを食い破る形で独立する。これは、芸能のあり方として美しかったと思います。
しかし、最後にジャニーズ側に軍配が上がっている。あんな出所不明な解散の仕方で、まだ囲い込むのかと思いました。
小さな肩に背負い込んだ
常見:私は10代の頃から休刊まで『噂の眞相』の読者で。その誌面では、1990年代からSMAP解散説、木村(拓哉)独立説がささやかれていました。先ほど、クラブカルチャー的な魅力がSMAPらしさだとおっしゃいましたが、SMAPはいつから終わっていたと思いますか?
矢野:2000年代に入ってから少し変わったように思いました。たとえば、「世界に一つだけの花」(2003)はそれまでの軽やかさが消えてしまったと思いました。世界にって……抽象的過ぎるなと。そのあと、「僕の肌 キミの母 僕らの愛は 蒼く浮かぶ ちっぽけな惑星に 舞い降りた奇蹟」と歌う「Triangle」(2005)が発表されました。これは、ますます仰々しかった。
アルバム「We are SMAP!」(2010)の楽曲は、ストリングスが入って仰々しく、音楽的にもダンスミュージックの要素が少なかった。日本代表を背負わされている感じです。「しようよ」「がんばりましょう」と言っていた等身大のSMAPではなくなってしまった。
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