宮城・気仙沼に見る震災復興の矛盾 盛り土かさ上げ、防潮堤建設が巻き起こす不安
東日本大震災の被災地で、自治体が策定した復興計画が図らずも住民に波紋を広げている。
宮城県気仙沼市幸町1丁目--。津波が押し寄せた地域で水産加工業を営む春日淳一さん(67)は、「このままでは“3重ローン”を背負うことになりかねない」と不安を吐露する。
道路拡幅への不安募らす
2年前の3月11日、丘陵地のふもとにある春日さんの自宅および隣接する工場には、大人の背丈ほどの津波が押し寄せた。自宅の1階が水没し、イカの塩辛の原料を作っていた自宅に隣接する工場は、天井まで海水に浸かった。復旧に7カ月もかかり、自宅と工場の改修に1000万円以上も費やした。
ところが、生活が落ち着きを取り戻す間もない1年半前、道路の拡幅計画が持ち上がった。自宅前にある幅4メートルの道路を9.5メートルに広げるとともに、2車線にして、自動車がすれ違うことができるようにするというものだ。拡幅後の道路には避難道路の性格も持たせることで、再び津波が襲来した場合に、高台にある市民会館や中学校にすみやかに避難できるようにするとの説明が市役所からあった。
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