故郷に建設した、巨大工場
先週末、世界最大のEMS(電子機器受託製造)企業である台湾の鴻海精密工業(ホンハイ)がシャープに対して申し出ていた経営参加の出資が、ほぼ実現しない見通しになったというニュースが駆け巡った。
このニュースに接してまず私の脳裏に浮かんだのが、昨年末に中国・山西省で目撃した光景だった。
山西省の晋城という地方都市で、ホンハイは中国子会社である「富士康」の巨大工場を建設した。晋城は、1949年前後に共産党に敗れて蔣介石と一緒に台湾に渡った、郭一家のふるさとだ。郭台銘(テリー・ゴウ)は近年、まるで「故郷に錦を飾る」を地でいくような勢いで、10万人を雇用する工場を立ち上げ、父親の名前を冠した学校を建て、福祉事業にも数億円の寄付を行っている。
その真新しい晋城工場の向かいに「富士康(晋城)人力招募中心」というビルがあった。中に入ると、郭台銘の過去の「金言」が壁に掛けられていた。「机会:机会总是留给有准备的人」――日本語に訳すと「チャンス:チャンスは常に準備を怠らない人間が手にする」という意味だ。
ロビーには職を求めて数十人の若者が列を作って並んでいた。彼らに対し、富士康の担当者は事務的に「第二期の募集があれば連絡する」と言って、名簿に連絡先を書かせていた。
ある若者が担当者に給料について尋ねると「2000元。ただお前は農業専門学校出だから1800元」と素っ気なく対応していた。2000元は約2万4000円。晋城ではかなりいい待遇だ。暗い顔をしてビルから出てきた若者に富士康に応募する理由を尋ねると、「多少仕事はきついかもしれないが富士康は給料がいい。でも最近は採用をしてくれなくなったみたいで困っている」という答えが返ってきた。
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