それでもやっぱり議員数は削減すべきか? 「国会議員222人削減」の是非
国会議員のコストと価値 ~数よりも質の議論を
国会議員を1人雇うのにも、おカネがかかる。歳費、秘書の人件費、議会の運営費、政党助成金、選挙にかかるコスト……すべて合わせると、ざっくり国会議員1人当たり年間1億円程度かかる。「量」の議論も大切だが、もっと本質的なことは、立法府の議員の役割・仕事を具体的に定義し、コストに見合う価値を出したか評価する、という「質」の議論だ。
「まずは国会議員が身を切るべき」と叫ぶ人が多いが、数を減らしても身を切ることにはならない。新人候補を公認しなくなるだけだ。結局、リストラのしわ寄せは新人議員の削減で穴埋めされる。民主党の前原誠司は、「議員数半減ではむしろ官僚依存を強める」と主張していたが、それも「質」の議論を忘れている。
本当に「身を切る」とは、「質」の議論に手を突っ込むことだ。どうせなら給料を大幅に減らし、既存の議員の意見を薄めるくらいドドンと議員数を増やしてみるのも一案だ。価値を生み出せるなら、議員は何人いたっていいし、給料だって高くてもいい。
コストの議論をするならば、選挙が多すぎるのも問題。衆、参、都道府県、市、区、補欠選挙……選挙が多すぎる=政治家の種類が多すぎる点についても、CostとValueを比較したうえで、再検討すべきだろう。地方議員が3万人もいる現状が、はたして妥当かどうか、検証が必要だ。単なる議員数にフォーカスした議論はもうやめるべきだ。
それでもやっぱり議員数は削減すべき
ここまで、安易な議員数削減論に警鐘を鳴らしてきたが、やはりそれでも議員数は削減すべきと考えている。「いろいろな意見を反映させるためには、数が必要だ」と主張する人がいるが、それは間違っている。「いろいろな意見を聞いたうえで判断できる議員」が少数いればいいのであって、数で解決するものではない。本当に優秀な議員を選抜し、有権者の目にしっかりさらして審判を受けるためには、722人という人数は多すぎて、目が届かない。かつ、議員数が増えると、その分、官庁の仕事も増えてしまう。
筆者が永田町の実務を経験した肌感覚でいうと、一院制にして立法府をスリム化したうえで500人程度の人数がいれば、十分業務はまわせるかなと思う。300人程度が与党議員として、ひとつの委員会に30人程度の人数がいれば、一定数が新人だったとしても、さまざまな争点について議論するには十分足りるだろう。また、それと同時に、国会議員の政策スタッフや調査委員会などを充実させるとともに、議員を評価する仕組みが必要だ。
222人削減説は実現できるか?
衆院選での自民党のマニフェストでは、「議員定数の削減など国民の求める改革を必ず断行します」と述べるにとどまり、具体的な方向性や人数は示されていない。確かに、222人削減説が前提としている一院制は、憲法改正が必要とされており、ハードルは高い。
しかし、この国は僕たちの国である。「憲法に書いてあるから」という言い訳は聞きたくない。民間企業だって、つねに時代や戦略に合わせて組織改革を繰り返してきている。明治以来ほとんど変わらない仕組みで、歪みが生じないほうがおかしい。時代や戦略が変われば、憲法だって変えるべきだ。僕たちの国をよりよくするための決断ができる政治家が求められているし、有権者はその目で政治家を評価すべきだ。
222人削減説を本当に実現できるかが、自民党政権の試金石だ。
(撮影:尾形文繁)
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