医者はホンネでは患者をどう考えているのか

いつでも平静でいられるわけではない

被害者がじつはホームレスで、強烈な悪臭を放っていたからだ。悪臭だけではない。彼女がまとっていたぼろぼろの衣服からはゴキブリが顔を出し、またそのなかへと消えていったのだ。もちろん著者はそのとき、被害者の女性をケアしなければならないと頭では理解していた。しかし、身体の内側から湧いてくる嫌悪感により、どうしても足が動かなかったのである。そして、ようやく足が動くようになったとき、著者が向かったのは、被害者のもとではなく、なんと後方のデスクカウンターの裏だった。つまり、著者は被害者に共感を抱くことなく、その場を逃げ出してしまったのである。

いまのエピソードはもちろん、著者が未熟な学生だった頃の話であり、プロフェッショナルな医師の話ではない。だが他方で、たとえプロフェッショナルな医師やスタッフであっても、患者に共感を抱くことができないケースが少なからずあるようである。

患者に共感を抱くことができないケース

著者が具体的に指摘しているのは、患者が薬物やアルコールの依存症、病的肥満、文化的・言語的に異なる人、特殊な性格の持ち主、といったケースである。そうしたケースでは、医師と患者の間に大きな隔たりがあって、医師は患者の立場に立って考えることができないのだという。たいていの医師は、医師となるために長らく自己抑制を続けてきた人たちである。それゆえ、たとえば依存症患者は、彼らの目には怠惰や自堕落なものに映り、なかなか理解の対象とならない。また、痛みに対する言語的表現が過剰な人(いつも「今までで最悪!」と表現するような人)も、医師の共感をなかなか得られないようだ。

というように、熟達した医師やスタッフでさえ、患者やそのほかの条件次第では、患者に共感を抱くことができない場合がある。そして、その事実がとりわけ看過できないのは、「共感できる/できない」が患者の健康へ影響を与えると考えられるからである。

著者は、「医師の共感が患者の健康に実際与える影響についての研究はまだ新しい分野である」と断ったうえで、その興味深い予備研究結果について言及している。ここで、そのうちのひとつを引用しておこう。

“この種の調査としては最大規模のある研究においては、糖尿病患者2000人以上を対象に、入院や昏睡という結果をもたらす最重度の血糖値の揺れ(高血糖あるいは低血糖)についての分析が行われた。一方、彼らの主治医242人全員はJSE共感力テストを受け、そのスコアによって高、中、低の3つのグループに分けられた。その結果、高スコアグループの医師の患者が重篤な糖尿病の合併症を発症する率は低スコアグループの医師の患者よりも40%低かったという。この効果は、糖尿病の最も強力な治療を行った時に得られるものとほぼ同等である。”

著者も指摘するように、どのような因果関係により以上のような結果が生み出されるのか、その点を明らかにするにはまだ時間がかかるだろう。ただ、とくに治療を受ける患者の側からしてみれば、以上のような結果が出ていること自体は、それほど不思議なことではないかもしれない。

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