若い貧困者が「見えない傷」をこじらせる理由 生活保護と貧困スパイラルの密接な関係

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にもかかわらず、かねてから生活保護のケースワーカーは、新卒公務員が配属される「外れ部署」だったり、「修業の場」化しているというのは、すでに多くの報道などでも指摘され、僕自身も現役のケースワーカーから何度も聞き取っていること。

この生活保護の窓口セカンドレイプともいえる状況が当事者の苦しみしか生まないならば、生活保護のケースワーカーは、最低限の心理職の専門性を持つ人を配属するか、心理職とつねに連携できる態勢であるべきなのではないか。仲岡さんが受給開始直後に倒れたのは、それまでなんとか気力で自分を支えてきた彼女が、最後の力を振り絞って無理解なケースワーカーと苦手な舌戦を繰り広げ、疲労困憊してついに倒れたということなのだと思う。

加えて、仲岡さんの場合は、半年ほどで少し調子を取り戻して就労指導が始まったところで、さらに一気にどん底に落ちて病棟入りとなった。

ここで仲岡さんにはいくつかの不運が重なっている。

それは、彼女がもともと非常に責任感のあるパーソナリティの持ち主で、生活保護に頼らずいち早く仕事ができるように戻りたいと思ってしまったこと。さらに前職が資格持ちの介護職=職能があったということだ。つまり彼女は外見や言動から「そろそろ働けそうだな」と判断されてしまったのだ。

高齢や障害傷病などで明らかに就労困難と見なされる生活保護受給者以外には、ケースワーカーから就労指導がある。評価基準は、肉体労働ができる、軽い労働ならできる、デスクワークならできる、と段階を踏んだものになるが、仲岡さんの場合は自身に社会復帰の希望が強く、働かなければならないという義務感も強く、まだ資格も生きていた。

だがそれは、本当に「働ける」状態だったのだろうか。

仲岡さんの状況を外科的外傷に置き換えると、彼女は足を骨折して休養中。仮骨が出来上がった段階で本人は歩けると判断し、走り出したら再骨折どころか開放骨折して骨が肉を突き破って出てきてしまって、大流血。そんなエグい絵面が思い浮かぶ。

ここで問題なのは、彼女はいつから働「ける」のか。そしてその判断基準だ。彼女が心に負ってきた傷は、前職の介護職時代のトラウマ体験のみならず、子供時代の父親の暴力や、その後叔母の家で肩身狭く過ごした経験などが積み重なったものだった。こうした積年こじらせ続け、完治しない傷の上に傷を積み重ねてきたような者が、ばったり倒れて働けなくなって、いったいどれほどの時間をかければその傷が就労可能なほどに回復するのか。半年なはずがない。

少なくともあのとき仲岡さんに必要だったのは、就労指導ではなく、まず日々の支払いといったストレスから解放されて心を休める休息の時間。それもある程度まとまった規模の時間が必要なはずだ。

心に抱えた見えない激痛が前回提言したように脳の機能阻害状態に起因するとして、たとえば同様のトラブルを抱えた脳卒中患者の脳の回復は、年単位の時間規模を要している。だとすれば彼女のようなケースが回復に至るには、傷つけられてきた人生の長さよりはるかに長く、それを耐えてきた時間よりもはるかに長い時間が必要だったのではないか。

その期間を短縮するためにも、そこ必要なのは就労指導ではなく医療的ケアだ。

すべてのタイミングが、環境が、狂っていたように思えてならないのだ。

かかるべき精神科を間違え、専門性の低いケースワーカーが心の傷を悪化させ、誤ったタイミングの就労指導で最終的に倒れることで、本来、そこそこの就労能力を有していたはずの彼女の社会復帰は、大きく先延ばしされることとなってしまった。なんという損失だろう……。

生活保護担当職員の専門性向上を求める

こう考えていくと、やはり現状の生活保護制度は、明らかに不備が多すぎて、全肯定はまるでできない。現状の社会のリソースを考えると遠大で非現実な理想論にも思えてしまうが、願わくばまず上記したような生活保護の担当職員の専門性向上、そして医療との連携で、貧困当事者を「扶助」ではなく「治癒」に導く積極性がほしい。

連携する医療とは、心に抱えた見えない痛み(脳の機能阻害状態)をケアする医療であって、まずはその痛みを医学的に可視化し、病名診断すること。さらにここでも「対症ではなく治癒」を目指した医療。同時に見えない傷の治癒具合を可視化することもまた必要で、本人の意思だけではなく、明確な診断基準をもって「この人はそろそろ就労可能」と判断できるようになること。つまり「貧困者の医学的エビデンス」だ。この基準が科学的でなく現場の専門性のない職員の判断のみが基準なら、それこそ不正受給問題なども本質的に解決はしない。

書けば書くほど理想論に思えてくるが、前回指摘したように貧困と脳のトラブルに関連性があるならば、希望もある。基本的に人間の脳神経細胞とは一度壊れてしまえば不可逆(元には戻らない)とされているが、脳には壊れた部分をほかの細胞が補っていく機能が備わっていて、機能的には「可逆性」があり、人の脳は発達し続ける器官だからだ。次回のテーマは「貧困当事者に必要な脳のケア」だ。

鈴木 大介 ルポライター

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すずき だいすけ / Daisuke Suzuki

1973年、千葉県生まれ。「犯罪する側の論理」「犯罪現場の貧困問題」をテーマに、裏社会や触法少年少女ら の生きる現場を中心とした取材活動 を続けるルポライター。近著に『脳が壊れた』(新潮新書・2016年6月17日刊行)、『最貧困女子』(幻冬舎)『老人喰い』(ちくま新書)など多数。現在、『モーニング&週刊Dモーニング』(講談社)で連載中の「ギャングース」で原作担当。

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