沖縄戦体験者の4割がPTSDに苦しんでいる 「君が代が流れると身体が震える」
12年4月~13年2月、沖縄県内の75歳以上のデイサービス利用者らを無作為に選んで面接し、沖縄戦の心的外傷後ストレス障害(PTSD)について調べた。その結果、359人(平均年齢82歳)のうち、141人(39%)、実にほぼ4割の高齢者が沖縄戦によるPTSDの可能性が高いと診断されたのだ。
夜中に「わーっ」と叫ぶ
戦後70年が経とうとしていた。「まさか今ごろになって、これほど多くの人の心身の健康に影響を及ぼすことがあるのか」。蟻塚さん自身、この結果に驚いたという。
調査のきっかけは、蟻塚さんの個人史と重なる。
南満州鉄道の職員だった父親は、中国で現地召集され戦場に赴いた。背中に銃創を負って帰国した戦後、父親は農業に就き、苦労を重ねた。蟻塚さんが生まれた後も貧困生活が続いた。父親は晩年、夜中に「わーっ」と突然叫ぶことがあった。今思えば、戦争体験による典型的なPTSDの症状だったように映る。「戦争と貧困は敵」という意識が蟻塚さんの心に刷り込まれた。
大学卒業後、青森県内の病院で勤務していた蟻塚さんに転機が訪れたのは04年。親交があった医師に誘われ、沖縄の病院に移った。そこで「奇妙な不眠」を訴える高齢の患者に出会う。
「長年、精神科医を続けてきて、診たこともない奇妙な不眠だった」
不眠には、眠りに入れない「入眠困難」と、夜中に目が覚める「中途覚醒」がある。しかし、沖縄の高齢者たちの不眠は夜中に何度も目が覚める不規則なタイプだった。こうした不眠の症状はうつ病に現れる。このため患者たちは長年、「うつ病」と診断されていた。
ところが、不眠以外の患者の症状を丹念に聞くと、うつ病とは診断できない。蟻塚さんはそう判断し、別のアプローチで治療方法を探り始めた。
「戦争」に対する関心が強かった蟻塚さんは、沖縄に来てから沖縄戦に関する勉強に真剣に取り組んでいた。その中で、特に印象に残ったのが、集団自決(強制集団死)だった。講演会で体験者の話を聴く機会があり、集団自決は心理的な視野狭窄状況の下、皇民化教育という特殊な圧力が加わって起きたのではないか、と考えるようになっていた。
戦争という極限状態が人間の精神に与えるダメージは計り知れない──。そう認識していた蟻塚さんは戦争体験によるPTSDと不眠の関連に着目し、欧米の研究論文を読みあさった。アウシュビッツ収容所からの生還者の精神状態を調査した米国の研究者の論文に、「奇妙な不眠」と酷似する症例が見つかった。
「PTSDの患者は、トラウマ(心的外傷)の記憶が暴れて自分のメンタルに侵入してきます。そのとき最も脅かされるのは睡眠です」
蟻塚さんは不規則な不眠を訴える患者一人ひとりに、「沖縄戦のときにどこにいましたか」と尋ねた。