貧困報道を「トンデモ解釈」する困った人たち ある階級の人たちは「想像力」が欠如している

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これが階級間の隔絶と想像力の壁。イラ立ちついでにさらに言ってしまえば、これは雑誌からテレビまであらゆるメディア全体の作り手にも言える話だ。多くのメディアの発信地は東京なのだが、その東京発信の情報と地方の世界観の温度差にはすさまじいものがある。

厳しく言えば、「東京だけがもう日本ではない」。

たとえば取材の中で、少子化晩婚化やおひとりさま女性にについての話題を、地方のいわゆる「ソフトヤンキー」的な20代女子に振ると、こんな返答がよくある。

「わかんないかなあ……地元で30歳で結婚も出産もしてない女の、そのどーしょうもなくイケてない感が」

「そこまで売れ残っちゃったら、いつどこで男と知り合って、どうやって結婚するの? 子供産んだとき周りみんな年下で、めっちゃ孤立するじゃん」

地方出身で都市部に暮らすおしゃれアラサーアラフォー女性は、彼女らからすると「中高時代に頭はよかったけど地元じゃイケてなかった組」。東京発のメディアにとって最も身近な女性の貧困とは、こうした「おひとりさまキャリア女子の貧困リスク」となるわけだが、地元女子からすればむしろそうした女性の貧困コンテンツは「それみたことか、ざまあ」的な消費動向が強い。

そんな地方のコンビニで「東京おいしいラーメンランキング10」とか見出しに打った雑誌が並ぶのだから、雑誌不況なんか当然すぎる話なのだが、ことほどさように地方と東京、大都市では世界観に大きな差があり、お互いはお互いの想像力の壁の外にある。

ゆえに「東京だけが日本ではない」。となれば、首都メディア発信の貧困報道の的外れ感もまた、この「想像力の限界」なのかとも思う。地方にもこれまた地方在住者でも想像を絶するような貧困があるわけなのだが、首都発のメディアからすればそんな貧困は想定外の想定外、国外の問題よりリアルじゃないというわけだ。

中村淳彦氏とよく比較されるが……

ちなみに僕とはまったく違うコンセプトで、まったく近しい取材対象者のルポを続ける記者に、東洋経済オンラインでも連載執筆中の中村淳彦さんがいる。僕がこの連載で貧困当事者のコンテンツ化に文句をつけた結果、中村さんと僕を比較する読者も多いと伝え聞いたが、それもまた違うのではないかと思ったので言及したい。

そもそも中村さんは僕の先輩で担当編集者だったこともあり、同じ層を取材し続けてきたアングラライター仲間だ。

昨今まさに貧困のコンテンツ化の急先鋒に感じる中村さんではあるが、彼はことさら意図的に取材対象者を選んで「狙いすました売れる貧困コンテンツ」を発信してきたわけでは全然ないし、ルポライターとして手にしたカメラの描画力でいえば、より高い再現力を持つのは僕ではなく中村さんだ。

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