貧困報道を「トンデモ解釈」する困った人たち

ある階級の人たちは「想像力」が欠如している

自戒を込めて、今回の提言は貧困報道における「かわいそうバイアスの限界」だ。よろしければ読者も一緒に悩み抜いてみてほしい。

前回までは、貧困者の安易な消費コンテンツ化に危惧を提した。貧困者を安易にコンテンツ化してならない理由は、単なる紋切り型の当事者見せ物報道の繰り返しはいずれ飽きられ消費されて、誰も見向きもしなくなるから。また、明日はわが身といった切り口は人目を引くが、貧困問題とはわが身に降りかからなくても解決に向けた努力をしなければならない社会問題だということ。

加えて貧困者とはそもそも「見るからにかわいそうで助けたくなるような人々」ではなく、その真の像が見えてくるまでに長い取材と記者と取材対象者との人間関係の構築も必要だから、速報性を求められるメディアの短期取材ではその実際はつかみづらく、かつ差別を助長しないように報道そのものに一定のバイアスがかかっていることが望ましい。

そうまとめてはみた前回までの連載だが、その先にもまだまだ問題は山積みだし、僕の提言は突っ込みどころ満載だ。

まず僕自身、これまで貧困者の描写にかなりのバイアスをかけ、彼らの見苦しい部分や読者が共感しづらい部分、差別の助長につながりかねない部分には目をつぶり、彼らの抱えた苦しさや貧困に陥るまでのバックグラウンド、声にならない「助けて」の声を意図的に拡声して報道してきたが、実はその作業が無駄だったのではないかと思うことも少なくない。

なぜならば、こうだ。

たとえばそうしたかわいそうバイアスのかかった報道を見て、貧困者を支援したいと思った人がいたとしよう。そこそこ一般的な家庭に育った若い学生さんがそう思ったとする。けれど、リアルにその当事者に接したときにその学生さんはどう思うだろうか。

「鈴木の本に書かれていた貧困者の像と違う」「なんか怖いっつーか面倒くさすぎる」。そう思って立ち止まってしまうかもしれない。

加害者の像を持つ貧困当事者

面倒くさいならまだしも、当事者の中には社会や対人関係の中で濃厚な「加害者の像」を持つ者も少なくない。「なんとか力になりたいんです」とアプローチした結果が、夜中にLINE100本とか、それで突き放したら「だましたな呪い殺してやる」の呪詛に転じたり、ふと気づいたら財布を持ってドロンだとかといったことは、貧困者支援の現場ではよくあること。

もちろん当事者すべてがそうではないから、こんなことを書くことがそもそも新たなスティグマ(差別的烙印)と言われかねないが、その一見してデンジャーな人物が、よくよく付き合ってみたら実は不安と孤独の中で切り裂かれるようなつらさの中で生きているだとか、そうなってしまう前に信じ難いほど苦しい人生を過ごしてきたということがわかったりするのも、またよくある話だ。だが単に僕の著作で憐憫を刺激された程度のにわか支援者は、リアルに接した加害的なパーソナリティの前に、そんな背景への推察を簡単に失ってしまう。

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