借金2億円に負けない!村岡医師の挑戦 大震災後変わる宮城・気仙沼の医療

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東日本大震災で大きな津波被害を受けた宮城県・気仙沼医療圏(気仙沼市および南三陸町)では、震災直前に82あった医療機関(病院、医科診療所、歯科診療所)のうち全体の3割近くに当たる22医療機関が、震災から1年6カ月が経過した2012年9月11日時点でも、再開できないままになっている。

来院の乗用車でいっぱいの気仙沼市立病院

もともと人口10万人当たり医師数が宮城県平均の5割強にとどまる「医療過疎」の地域であるうえ、震災被害で医療機関の自力での再建を断念する動きが続出。仙台などほかの地域で開業したり、病院の勤務医に転じることで気仙沼を去った医師も少なくない。

借金2億円でも負けない!新診療所で医療再生に挑む

こうした厳しい状況が続く一方で、震災前の医療の仕組みを変えようとする動きも起き始めている。津波被害で全壊した診療所を別の場所で再建するとともに、在宅医療に取り組む村岡正朗医師(村岡外科クリニック院長、51)がその中心人物だ。

村岡医師は震災直後から、被災を免れた気仙沼中学校の保健室に寝泊まりして、避難住民の診療に24時間態勢でたずさわるとともに、患者宅を定期的に訪問する在宅医療を続けてきた。その後、2011年5月には休止中のデイサービス事業所を間借りして、在宅医療専門の診療所として再開。そして12年5月には、市内の別の場所で震災前と同様に医療機器のそろった診療所の再オープンを果たした。

震災前から残っていた借入金に加えて、新たに銀行から20年にのぼるローンを組んだことで債務は2億円に達したが、「自力再建できるぼくはラッキーなほう。患者さんから求められている以上、ギブアップする選択肢は当初からなかった」と村岡医師は語る。

震災前と比べて大きく変化しているのが、在宅患者への診療の大幅な増加だ。村岡医師は震災前に20人前後の患者宅を定期的に訪問していたが、現在、その数は60人を上回るレベルまで増えている。ボランティア団体から寄贈された軽自動車を自ら運転して、岩手県との県境の山間部から気仙沼市内東端の唐桑半島の漁村まで駆け回る。

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