2012年11月16日、衆議院が解散し、総選挙へと突入することになった。
現行の選挙制度は、独立した司法である最高裁判所が「違憲状態」にあると断じたものだ。その後十分時間があったにもかかわらず、必要な変更がなされなかったこの制度の下で、この選挙は実施された。
権力分立を規定する立憲主義の最も重要な部分での「背信」といえるだろう。内閣はもとより立法府全体の責任が問われるべきである。
この件に関して、最高裁がどのような判断をするかはわからない。弁護士らはすでに、最大2.43倍の「一票の格差」を理由として、この参院選の無効を全国の高裁に提訴している。
今回は、そんな状況の下で繰り広げられた選挙戦の中で注目を浴びた「第三極」と呼ばれる政治勢力について考えたい。
そもそも、「第三極」という言葉のはじまりは?
「第三極」という言葉の起源はどこにあるのだろうか。
試みにデータベースを使って、朝日新聞紙上でこの言葉がどのように用いられてきたかを調べてみる。
すると、1994年末、当時の二大政治勢力、自民党と後に新進党になっていくグループ(当時は新・新党と呼ばれていた)に対抗しようとする勢力が、初めて「第三極」を称していたことがわかる。
それは、社会党の一部議員が労働組合の全国組織である「連合」の支持を受けながら、「民主主義・リベラル」の勢力を結集しようとしたものだった。このグループが、さきがけなどとの合併論議を繰り返した後に民主党を結成し、現在に至る。
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