GAPが到達できなかった形に挑戦する 柳井氏後継候補の1人 堂前 宣夫(下)
残念ながら、05年の米国初進出は、ほろ苦いものになった。アジアと違い、米国はGAPを筆頭に、カジュアル衣料のライバルはごまんといる。「売れなかった。有名なSCモールで、立地は最高だとされていたのですが、あとから聞いたら売れない所だったんです。1日目、2日目の売り上げだけは健闘したのですが、その後が全く続かなかった。家賃も高く払いすぎてしまいました」。文字通り進出の「家賃」は高かった、ということか。ニュージャージーの店は、結果的に翌06年撤退という苦い経験を味わうことになった。
大失敗から生まれた米国の旗艦店
しかし、このニュージャージーの失敗が思わぬ形で、その後のFRの海外戦略を変える転機となる。初の「グローバル旗艦店」であるニューヨーク、ソーホー地区への出店だ。「ニュージャージー店舗のオープンから2週間が経過しようというころ、たまりにたまった在庫をどうにかしなければならなくなった」。堂前は失意の中、ソーホーの通りをブラブラと歩く。
その時「たまたま裏通りで70~80坪くらいの空き物件を見つけた」。ひらめいた堂前は、その場所に急きょテンポラリーショップをオープンすることを決断する。そこからは早かった。「急なオープンでしたから什器なんかは昔のユニクロで使っていたエレクター什器という、金属製のものを急ピッチでパタパタと組み立てました。そこで在庫のカシミア39.9ドルを販売したら意外にも当たって、これはいけると確信をした」。
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