(中国編・第一話)「プータロー」と「プワー」
非営利の世界での試みは、そう楽なものではない。何度も挫折をしかけた。それでも私は時代が求めていたものに非営利で立ち向い続けた。
国政の選挙の際には多くの有識者の参加で、政府や各政党の政策評価を独自に有権者に公表した。日中関係の悪化の最中には単身、中国政府などと交渉し、民間主導の新しい対話の舞台を日中間につくりだし、昨秋の日中首脳会談の実現で決定的な役割を果たすことにもなった。
私は、非営利組織(NPO)の専門家というわけではない。ただ、私が出版社の編集者というサラリーマン生活を飛び出し、「言論NPO」という非営利組織を六年前に立ち上げた際にはひとつの強い思いがあった。「非営利のほうが、私が抱いていた仕事へのミッション(使命)を実現できるのではないか」。
私が当時抱いていたミッションを簡単に言えば、有権者が政治や将来を選択できる適切な判断材料を提供できる、質の高い、かつ参加型のメディアを非営利で作りたいということだった。
それまで20年近く、メディアの世界にいた私は、真面目な議論の空間が年々狭くなり、観劇を楽しむだけかのような傍観者的な安易な議論づくりが一般化することに、疑問を抱いていた。言論に問われた役割を、営利を軸とするメディアだけで十分に担えるのか、むしろ営利では難しいのではないか。そうした思いが私を突き動かした。
こうしたことがなぜ小さなNPOで可能だったのか。それはおいおい話すことにするが、それ以上に新鮮に思えたのは、私たちの活動が日本の中に個別や組織の中で存在するさまざまな人と、このミッションに対する共感を元につながったことである。
縦から横への個人のネットワーク。組織の社会で縦の仕組みにどっぷりと浸かっていた私にはまさに新しい世界との出会いだった。
このNPOという非営利組織の可能性をどう説明したらいいのか。これがこの連載を引き受けたときに考えた、最初の課題だった。
”ニッポン・プータロー・オジサン”(NPO) の北川正恭前三重県知事と
今から考えれば冗談のような話だが、かなり前に私のNPOのアドバイザリーボード(顧問)の一人でもある北川正恭前三重県知事とNPOをどう説明すべきかで、議論になったことがある。
「簡単じゃないか、ニッポン・プータロー・オジサンだよ」。そう語呂を合わせる北川さんに私も「それならニッポン・プワー・オジサンも成り立つでしょう」と言い返し、大笑いになったことがある。
「オジサン」というところは余計だったと今でも思うが、「プータロー」「プワー」は、日本のNPOの現状を表している、と今だからこそ妙に納得している。
ウィキペディアでは、「プータロー」とは就労可能な年齢等にありながら無職でいるものの俗称であり、蔑称のためメディアでは使われない、と書かれている。
豪快な北川さん独特の言い回し。が、この照れ隠しの言葉の裏側には「自由人」という意味を込められていたはずである。組織から離れ、利益を直接的な目的にはせずミッションに向けて自発的に行動する。ここでは「ミッション」と「自発」が決定的に重要なのである。
彼からすれば、こうした個人の試みに、共鳴が起こり、それがいつかはムーブメントになるということなのだろう。 だが、その試みはこれまでもそうだったように多くの理解者が存在しないと成り立たず、かつ組織者は孤独である。営利企業と同様、そこにはまたミッションを実現するための強い経営が問われるからである。
その意味では日本のNPOは私も含めて「プワー」な状態であり、NPOの可能性はまだこれからなのだろう。