(中国編・第四話)外交は政府だけが担うものなのか

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 後から説明することになるが、私は公共の領域には官製市場と市民市場の二つの市場があると考えている。非営利組織が、自発的にしかも創意工夫の新しい熱意を持って公(おおやけ)の仕事を担うためには、この市民市場の中で自立して経営されなくてはならない。
 ところが、非営利組織はNPOであれNGOであれ、この自立がなかなか難しい。
自立した経営基盤を固めるためには活動が広く社会に開かれ、ボランティアや寄付という形で市民の参加を得る必要がある。が、ほとんどの非営利組織の資金基盤は脆弱で、政府や自治体などから委託という形で資金を得て、結果的に官の下請けの循環に陥る場合が多い。
 私はこれを官製市場の拡大だと指摘している。だが、この官だけの世界で公共を担い続けることは果たして可能なのだろうか。これまでの六年間の私のNPOの挑戦で、日々問い続けたのもその疑問だった。

私が中国という巨大な隣国との対話という難題に取り組んだ時に常に意識したのは、日中双方のこの政府という官市場の存在だった。
 中国は急激な経済発展の最中にある。そのエネルギーはこの国が社会主義であるという現実を忘れさせるほどである。
 今だから自分の勉強不足を告白できるが、私は当初、社会主義に伴う様々なイメージから中国人との間の会話は中国政府の意向が反映されているのでは、と疑ったこともある。信頼できる通訳を日本側から紹介してもらい、交渉の際に中国人の間で行われる会話も全て訳して教えてもらうほど、神経質だったのである。
 だが、そうした見方が少なくとも私が提携したメディアのパートナーの仲間には誤解だったことはすぐに分かった。

私たちは対話の舞台を作るために何度も中国政府の関係部局と話し合った。その際に彼らが政府高官にこう発言している姿を何度も目撃したからである。
 「私たちは工藤さんの夢に賛同している。是非、日中対話の実現に力を貸してほしい」。
 彼らのほとんどが海外の留学組だということもあるかも知れない。もちろんそうした中国人も、発言の際にはその背後にいる政府や党の存在を意識はしているが、私と同じく、日中対話を自分の意思で自ら実現しようとしている。
 私は古い中国を直接には知らない。多分、いまの中国ではまだ少数派なのかも知れないが、こういう中国人と私が出会えなければ、対話の事業は動き出せなかっただろう。

これに対してむしろ意外だったのは日本側の反応だった。
 チャイナ・デイリー、北京大学との提携後、私は、日本側の準備を始めるためにこれまで交流事業を行っていた人も含め、多くの人と話し合った。
 だが、出迎えてくれたのは、むしろ冷ややかな反応だった。ある外務省の高官には、突然の訪問にも拘わらず、笑顔で話を聞いていただいたが、「あの中国で世論調査なんか出来るはずがない。夢は結構だが、もう少し国際政治の現実というものも勉強してもらわないと」と言葉は辛らつだった。
 神経質な日中関係の中で、外交という分野に勝手に乗り込んで混乱させてほしくない、外交は俺たちに任せるものだ、という意味合いがそこにあるように思えた。

私自身もかつては外交の分野は政府が行うべき分野だと信じていた。だが、NPOを立ち上げ、中国の対話に動き出す中でそうした考えが間違っていたのではないかと思うようになっていた。
 日中間の政府の外交が停滞する中で、この領域でも民間ができることはいろいろある、いやむしろ場合によっては民間だからこそできることがあるのではないか。そう思えたのである。

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