(中国編・第四話)外交は政府だけが担うものなのか
外交の領域をめぐる混乱が私の目にもはっきりと見えたのは、05年4月に北京など中国の主要都市に広がった反日デモや暴動の時だった。デモは日本の大使館だけではなく、中国にいる日本企業が経営する販売店などにも広がった。
私は、この報道を見て、すぐにも北京に行かなくてはと思い立った。そのわずか、4ヵ月後の、しかも日中関係にとっては特別な時期でもある8月に、まさに北京で日中対話の舞台を立ち上げようと考えていたからだ。
その混乱は、日本の民間の交流にも直撃し始めた。中国との文化交流や学生のスピーチコンテストなど人的な交流を行っていた団体からも、スポンサー企業の意向で交流事業が延期や、中断に追い込まれたという話が次々に入るようになった。
音楽祭を北京で断行した団体も存在したことを後から知ったが、それはあくまでも中国側からの要請を受け再考した結果の稀なケースだったという。
大部分の民間交流が政府間の関係悪化を背景に相次いで打ち切られ、メディアの報道はお互いの対立を煽るだけの論調に終始し、さらに両国民の感情対立に拍車をかけようとしていた。
この事件自体を考えれば、責められるのは中国側である。ただ、政府が機能しない分野で、民間も役割を発揮できない。にも拘わらず、ただ、評論家のように批判するということでいいのか。
その時、私を動かしたのは、そうした「政府への依存心」への反発だった。むしろ政府が機能しないからこそ、民がここで動くべきなのである。
二度目の北京訪問はその直後の5月初めとなった。ただ、今度は最強メンバーでの訪中である。私が日頃尊敬し、私のNPOを支えていただいているお二人が同行してくれたからだ。アイワイバンク(現セブン銀行)の安斎隆社長と前マッキンゼーの日支店長の横山禎徳氏である。お二人とも日本を代表する論客だが、私にとっては父親同然の強い存在のお目付け役だった。
左から、”お目付け役”の横山禎徳氏、安斎隆氏。
(工藤が握手しているのは、陳昊蘇中国人民対外友好協会会長。)
北京の街は、以前よりも公安の車両が路地に目だっていた。ただ、それよりも私の目に留まったのは、街路の樹木に連なるように並んだ広告の張り紙だった。
そこには「グローバルセミナー」と書かれている。世界有数の英文ビジネス誌のフォーチュンが主催するこのフォーラムには胡錦濤国家主席や欧米の有力者の参加することが説明されていた。
デモで揺れた北京の街で世界が動いている。日中関係だけが、そして日本だけが孤立しているのではないか、その張り紙に私の心は高ぶった。
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