(中国編・第五話)相互尊重とケンカ
会談は二時間にも及んだが、その主役はある意味で安斎、横山のお二方だった。
超啓正主任と私の挨拶が終わると二人が順番に立ち上がった。
「工藤君の志は応援してはいるが、私がここにいるのは、彼が糸の切れた風船のようにどっかに飛んでいかないか、それが心配だからだ」
「私も彼が心配で来ている。日中は友好でなく、本当の議論をすべきだ。そのため私もこのNPOを応援している」
日本でもいつも私はお二方に怒られ放しではある。それを中国のしかも大臣との要請の緊張した場でずばずばと遠慮なく言われるとは思わなかった。が、それ以上に驚いたのは、この中国の実力者の表情だった。ちらっと見ると超主任はまるで友人の会話を楽しむようにこの光景を見て笑っていたのだ。
主任は反日デモの際に政府がそれを説得するのが大変だったこと、日本企業への不買運動などを抑えるために中国メディアを使って抑えさせたことを説明し、日本とのチャネルが不足していることで、こういう対応時に困ったと言っている。
その話を黙って聞いていると、隣から声が飛んだ。
「工藤君、日本企業についてきちんと説明しないとだめだぞ」
それから、私はデモの対象となった日本企業がいかにアジアや中国の将来のための努力しているのかを、先生に怒られた生徒のように、多分、20分は話したような気がする。
さらに話が中国に紹介したい日本文化の問題に移ると、お二方はその場に無関係に議論を始め、それを仲裁するのが私の役目になった。
きっかけは実に単純な話で、中国に紹介すべき日本の文化について、武士道の精神について解説を始めた安斎さんに対して、横山さんが噛み付いたことだ。「江戸時代に武士が人口の何パーセントかを知っていますか。町人こそが文化を作っていた」。
お互いの持論が飛び交い、もう手がつけられなくなった。が、横目で見ると、主任が大声を出して笑っている。
よく考えてみると、私はこの日の会談の最大の目的である言論NPOのこともこの日中対話についてもあまり説明した記憶がない。あっという間に二時間が過ぎ、笑い続けた大臣がこう言って会談を締めくくった。
「これまで日本からいろいろな政治家がやってきたが、これほど愉快で楽しい会話はなかった、これが言論のNPOということですか。自由な対話が重要なことはとてもよく分かった」
私も、日中対話のあり方をその時、お二方に学んだような気がした。お互いを尊重して本音の議論を行えば、それが喧嘩となっても必ず分かり合えるはずだ、と。
ふいに同席したチャイナディリーの張平氏がこう言って、手を差し伸べてきた。
「工藤さん、よかったですね」。
その手を握りしめながら、もうこれで後には引けないな、と私は覚悟を固めた。
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