バニラエアはピーチの「物まねLCC」じゃない 新社長が語る展望、台北-東南アジアも就航へ

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リゾートを意識したバニラエアの機体デザイン

たとえば飛行機はエアアジアがリースしていましたのでこれを返却して、バニラエアとして新しい飛行機を用意しなければならなかった。予約システムもエアアジアのシステムからバニラエア用の新しいシステムを構築する必要がありました。それ以外にもブランドの新しいコンセプトを作ったり、制服を決めたり。ゼロからの立ち上げとは違って、既存の航空会社を入れ替えるほど難しいことはなかったと実感しました。

従業員のメンタルも大変でした。旧エアアジア・ジャパンで頑張ってきた社員は会社をたたまなければならない悲しさもあったからです。退職した社員もいましたが、残ってくれた社員とともに何がいけなかったのか、みんなで時間をかけて分析しました。そしてもう1回、「きついこともあるが一緒に頑張っていこう」という立ち上げになりました。

五島 勝也(ごとう かつや) 52歳。1987年にANAに入社後、伊丹空港での空港カウンター業務でキャリアをスタートした後、国際線のネットワークを作っている部署(ダイヤやネットワークをブランディング)には10年近く在籍。ANAが加盟するスターアライアンス本部(ドイツ・フランクフルト)に4年間出向し、ネットワークの部署に在籍し、新規加盟航空会社の開拓・加盟サポートを担当。2013年8月よりエアアジア・ジャパン株式会社(現バニラエア株式会社)に副社長として出向。2016年4月よりバニラエア株式会社代表取締役社長に就任 (撮影:梅谷 秀司)

――就航から半年間は、厳しい搭乗率でした。

2013年12月20日の就航時には、成田―沖縄線、成田―台北線の2路線からスタートしました。冬休み・年末年始の期間ということもあり、特に成田―台北線は多くの乗客に恵まれ幸先の良いスタートになりました。台湾では発売時にシステムがダウンするほどのアクセスがあったぐらいです。

その後、2014年1月に新千歳線、同3月からソウル線を開設し、飛行機もANAからのリースも含めて6機体制となりましたが、需要の厳しい春の時期になって利用者が低迷しました。少し油断やスキがあったかもしれません。レジャー・リゾート路線ということで季節要因が強く、また発売開始時期が遅れたことやバニラエアの知名度が低かったことも要因でしたが、準備とか仕掛けをもっともっとやるべきだったかと反省しています。

そんな中でも社員がついてきてくれたことが大きいです。私自身もバニラエアに不足している部分においてANAからも人を引っ張り、プロパー社員とともに頑張ってくれたことも大きかったです。徐々に利用者が増えていきました。

乗り継ぎの需要も増加傾向

――足元は国内線の搭乗率が堅調ですね。

成田―札幌線、成田―沖縄線、成田―奄美大島線の3路線に絞って展開しています。就航から時間が経ち、認知度も高まってきています。就航当初は飛行機の数の問題もあって増便できませんでしたが、最近は札幌線が夏場だと1日7~8便、冬場も最低でも同4便を飛ばせるほどになりました。東京と札幌を移動する人は多く、提供座席数を増やしても需要がついてきています。

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