社会を作る楽しさを人々は忘れかけている--『社会を変えるには』を書いた小熊英二氏(慶応義塾大学総合政策学部教授)に聞く

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一方で再帰性というのは、一方的な操作が不可能になること。企業は学生を選ぶが、企業も学生から選ばれる。取引先を自由に選べるようになると、こちらも自由に選ばれるようになる。どちらかが一方的に操作することはできなくなる。これにポスト工業化が加わると、グローバルな選択の情報が入手でき、万人に共通するもの、「これが代表的だ」というものがなくなり、すべてが「多様な選択の一つ」にすぎなくなる。

そうなると、社会全体が流動化する。労働組合や企業や町内会といった、人々をまとめていた共同体が意味を失う。「われわれの代表」や「おらが村の先生」といった概念も成立しない。社長も首相も委員長も、社会を統御できなくなる。若者も女性も一枚岩ではなくなり、マーケティングも成立しない。

──最近のデモもそうなっているわけですね。

労働者や学生といった、かつてデモをやっていた「代表的な社会集団」が実体を失った。労組や自治会も機能しない。最近のデモは、主催者は呼びかけと場の設定をするだけで、固定した組織はないし、思想的統制もしない。テーマを共有する老若男女あらゆる社会層がそこに集まって、各自が自由にアピールする。これは日本の脱原発デモだけではなくて、米国のウォール街占拠などにも共通する。

──それなら何が運動の共通のテーマになるのですか。

選択可能性と流動化が深まり、誰もが不安定感を覚え、「自分はないがしろにされている」と感じている。まさにそのことだけが共通しているのだ。だから「われわれをないがしろにして勝手に決めるな」ということだけが共通テーマになる。米国なら「金融エリートと政府が経済を勝手に決めている」となるし、日本なら「政治家と財界と官僚が原発政策を勝手に決めている」となる。政治でも経営でも、流動性の低かった時代には普通に行われていた意思決定のやり方が、今は公開性の欠如や密室取引という点で怒りを買う。

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