教育と平等 大衆教育社会はいかに生成したか 苅谷剛彦著 ~どうすれば「面の平等」を自由や多様性と両立させ得るか
戦後のある時期まで、「日本は平等な社会である」ということを素直に信じることのできる時代があった。このような「平等」がどこまで実体を伴ったものであったかについては議論の余地があるが、格差是正に向けたさまざまな取り組みによって一定の平等化が達成されてきたことは確かだろう。本書は「面の平等」というキーワードをもとに、戦後日本の公教育における平等化の過程を描いた興味深い一冊である。
教育の機会均等を「学校」という単位をもとに確保しようとする場合、是正すべき格差は地域間の格差として立ち現れる。本書によれば、「義務教育標準法」によって各自治体(都道府県)が確保すべき教職員数が規定され、義務教育費国庫負担制度を通じてそれに見合う財源の保障がなされることで、「面の平等」(地域間格差の是正)が達成されてきたということになる。僻地教育の充実をはじめとする格差是正の取り組みが、「面の平等」を求める自治体の自発的な活動によって支えられてきたという指摘も興味深い。
このように成功を収めてきた「戦後日本の教育(システム)」は、今、大きな曲がり角にさしかかっているように思われる。このシステムは、財源と人員の絶対的な不足という制約のもとで「等量等質」の教育を効率的に供給する配給制度としては有効に機能してきたが、教育の多様化という新たな要請に対応することは難しそうだ。文部科学省のイニシアチブによって進められてきた「ゆとり教育」の失敗はその例証である。
本書に示された戦後日本の教育システムの長所を活かしながら、それを「自由」や「多様性」と両立し得るものに作り替えていくことはできるのか。これは引き続き考えていかなくてはならない課題であろう。
中公新書 882円 290ページ
かりや・たけひこ
オックスフォード大学教授、東京大学大学院教授を兼務(2009年9月まで)。1955年東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了、ノースウェスタン大学大学院博士課程修了、Ph.D.(社会学)。放送教育開発センター助教授、東京大学大学院教育学研究科助教授などを経る。
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