(第18回)<泉麻人さん・前編>宿題の日記が今の仕事の発端に

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●生徒それぞれの個性を活かす

 この頃の思い出はまだあります。伴先生は噂通り、怒るととても怖い先生でしたが、雪が降ると授業をしないで外に出て雪合戦になったりして。そういう時には本気で、えらく硬い雪玉をぶつけてくるような人でした。いわゆる、わかりやすい「熱血先生」でしたね。
 当時、僕は肥満児でした。足も遅く、運動会ではいつもビリッけつ。6年生の最後の運動会の時に、僕がいつもビリで恵まれていないから(笑)、入場するときの旗を持たせてくれました。
 僕は作文ではスターでしたが、サッカーのうまい子はサッカーの時間に、わんぱく小僧で、雑木林でカブトムシをすぐに見つけられるような子は理科の時間にスターになりました。こんな風にそれぞれの子どもの取り柄を引き出してくれていました。
 その頃、グループサウンズが流行していました。何人かでバンドみたいなものを作ってモンキーズの真似をしたり……ちょうど、この時代のことを小説にまとめたところでした。(今秋刊行予定)

●地下鉄に乗って受験勉強

 勉強は、国語が好きでした。漢字を覚えるのが好きでしたからね。それから地図を読むのが好きで、幼稚園くらいから好きだったから社会科で地名を覚えるのも得意で、また昆虫が大好きだったので理科の生物も好きでした。
 遊びは、原っぱや空き地で草野球をしたり、バスに乗って石神井公園に行って、四手網という組網でタナゴやクチボソを捕ったりしていました。
 僕は中学受験をするため、進学教室に通っていました。同様の子がクラスに3、4人はいましたが、この頃はまだ受験をする人は少なかった。国語と理科と社会は好きだったので、受験勉強はそれほど苦痛でなかったという印象です。
 この進学教室に通っていて面白かったのは、地下鉄に乗って都心に出かけられたことです。模擬試験を受けるため、原宿や茗荷谷の拓大に行ったりしました。そんなときに原宿を歩いたり、茗荷谷から淡路町へ行き、神保町の古本屋に寄ったりして、その時代の都心を見るきっかけになっていました。

●慶應中学でファッションに目覚める

 中学は三田の慶應中に通っていました。男子が3分の2、女子が3分の1くらいの割合です。自由服の学校だったのでませた奴の影響で洋服に気を使うようになり、VANのシャツを買ったりしました。また深夜放送がブームで、その影響で洋楽を聴いていたので、銀座の山野楽器やYAMAHAに出かけて、ニール・ヤングなんかのLPを探しに行ったり……。遊びの思い出がたくさんありますね。
 小学校のときは肥満児で選抜にもれていましたが、中学からサッカー部に入りました。高校まで続けましたが、サッカーはうまくなりませんでしたね(笑)。
 この頃からマスコミに憧れていたので、好きなテレビ番組のタイトルや出演者をノートに書き出したり、歌謡曲のベスト10のオリジナルを作ったり。作家になりたいというはっきりとした意志があったわけではないけど、結果的にみるとこの時に書いていた日記は自信になっていたと思います。小学校を卒業してからも、連日ではありませんが高校くらいまで書いていました。
(取材:田畑則子 撮影:戸澤裕司 取材協力:中川美穂)

泉麻人<いずみ・あさと>
1956年東京都生まれ。
慶應大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊テレビガイド」等の編集に携わる。
その後、フリーのコラムニストに転身。各種雑誌への連載をするほか、「テレビ探偵団」(TBS)や「出没!アド街ック天国」(テレビ東京)などに出演する。
著書に、『東京版アーカイブス』『青春の東京地図』『お天気おじさんへの道』『通勤快毒』など多数。
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