オタク文化の巨大祭典「コミケ」が抱える悩み 東京五輪の影響で開催できる場所がない!
これほど存在感を増したコミケの歴史は、そのまま“オタク”のそれと重なる。途中では、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(1989年)に端を発する、オタクバッシングもあった。が、その後は『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年~)や『電車男』(2004年)などアニメや本のヒットを経て、オタク文化は市民権を獲得。蔑称として生まれたオタクだが、かつてのような暗い響きを帯びることはない。
コミケの始まったきっかけは、アマチュアの自由な表現を守るためだったことから、カウンターカルチャーとしての面も強い。コミケに赴く人々が「客」でなく「参加者」と呼ばれるように、草の根の市民運動ともいえるものだ。イベントが3000人を超えるボランティアで運営されながらも統制されているのは、運動としての意識が個々人に根付いているからだ。
この10年ほどのコミケについては、時間の経過とともに変化も生じている。それは大きく三つ挙げられる。
ネットコンテンツの出現
一つが企業ブースの拡大に伴う、マスコミの反応の変化だ。企業の出展するブースは1996年から設けられたが、そこに大手メディアも参加。民放を皮切りに、2014年にはNHKも初めて出展した。初日の朝にニュースで触れられることも多い。運営するコミケット社・広報の里見直紀氏によると、若者にリーチしたい企業には、コミケはかなり費用対効果が高いという。
次に挙げられるのは、ニコニコ動画やpixiv(イラスト中心のSNS)など、ネットコンテンツ関連の出展が目立ってきたこと。それまでテキスト中心だったのに対し、動画や画像が急速に増加。同人誌が出発点だったコミケにとっては、表現の幅を拡大することにもつながった。
そして、最も大きな変化といえるものが、いわゆるコスプレイヤーの激増だ。コスプレ用更衣室の利用者数は、2005年冬は約1.2万人だったが、2015年冬には2.9万人と倍以上に膨張。うち女性が73%と圧倒的に多い。2011年には剣や槍など30センチ以上のグッズの使用が可能となり、2013年からはカメラマンが三脚やレフ板を使って撮影できるようにもなった。ハロウィーンの仮装に見られるように、コスプレが一般に認知され始めたのも要因だろう。
ちなみに2015年には、TPP(環太平洋経済連携協定)で合意された、著作権の非親告罪化(著作権者の告訴がなくても当局が海賊版を摘発できる)について、コミケ準備会が文部科学相の諮問機関に懸念を表明する意見書を提出。コミケに代表される2次創作のあり方に一石を投じた。
今や会場不足で自治体も動くきっかけとなったコミケ。日本発のオタク文化はますます存在感を増しそうだ。
(「週刊東洋経済」2016年3月12日号<7日発売>「核心リポート04」を転載)
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