少数精鋭で、かつ会社が自由に労働者の職務を決めることができるため、現在従事している職務がなくなったとしても、社内の別の仕事に配置転換することで、労働者の長期安定雇用を成り立たせることができる。また、長期安定雇用があるからこそ、勤続年数、つまり年功に応じた賃金の上昇も実現でき、先を見通した人生設計が可能になっていた。
つまり、残業や配置転換などについては、会社からの強い拘束を甘受するが、その対価はきちんと存在し、バランスが取れていた。業種や会社の規模によって濃淡はあるが、具体的には、持続可能な業務と安定した雇用、家族を養うだけの生活を維持することが可能な報酬が、労働者への見返りとして認識されていたといえるだろう。司法も、企業の強力な業務命令権を認める一方、判例で解雇権濫用法理を確立することで、正社員の地位を保護してきた(現在は条文化されている)。
高度経済成長期を背景として、こうした不文律ともいえるようなルールが確立していく中で、社会は次のような考えを抱くようになった。企業は、一度正社員として雇った以上、その人の面倒をきちんと見て能力開発を行い、長期安定雇用を前提として、家族を持つ「普通の」生活は保証してくれる。その代わり、働く側は「社会人として生きていくことは甘くない」ということを受け入れ、プライベートを犠牲にしても仕事に粉骨砕身することは、大人として当然である、と。
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