ショコラ界の"超一流"、小山進の「頭の中」 世界一になった52歳がここまでやる!

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――まさに、小山さんはアーティスティックというか、ロックというか。表現者としての「思いの強さ」や「意志の強さ」を感じます。しかし「小山ロール」を筆頭に、パティシエとして十分成功していたと思うのですが、海外を舞台に、しかもショコラで打って出ようと思ったのはなぜですか?

海外に出てみようと思ったきっかけは、「フランスに代表される外国のショコラがいちばんすごい、だからそれを食べないとダメだ」と思われている日本のお客様が多かったからです。でも本当は、海外ショコラだけがすごいのではなくて、それぞれのよさがあります。だから、国内外のショコラを食べ比べる時代が来ればいいと思っていました。

でもそのためには、日本のショコラも海外に負けないくらいすごいと思ってもらう必要があった。ショコラは舶来品なので、海外のアワードを受賞して凱旋帰国したほうが、その価値が日本のお客様にわかりやすく伝わると考え、2011年に初めて「サロン・デュ・ショコラ・パリ」に出展しました。

なぜ海外に打って出たのか?

ーーその「サロン・デュ・ショコラ・パリ」では、フランスの最も権威あるショコラ愛好会「C.C.C.(クラブ・デ・クロクール・ド・ショコラ)」コンクールで、初出品した2011年から5年連続で最高位を獲得されていますね。また、「Excellence chocolatier etranger(2012年までの「外国人部門最優秀ショコラティエ賞」にあたる)」を3度W受賞されました(2011年・2012年・2014年)。

小山進(こやま・すすむ)/1964年、京都生まれ。ケーキ職人の父親を見て、「父の一番の応援団長になろう」と、母親の大反対を押し切って同じ道に飛び込む。大阪あべの辻調理師専門学校卒業後、1983年に神戸の「スイス菓子ハイジ」に入社。同社所属中に、「テレビチャンピオン」(テレビ東京)の「全国ケーキ職人選手権」で2連覇を果たし、36歳の時に独立。兵庫県三田市に置く、唯一の店舗「パティシエ エス コヤマ」の大ヒット商品「小山ロール」でパティシエとして成功を収めるも、それに飽き足らず、ショコラの世界へ。2011年チョコレートの本場フランス・パリで開催されたチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ・パリ」に初出展。フランスの最も権威あるショコラ愛好会「C.C.C.(クラブ・デ・クロクール・ド・ショコラ)」のコンクールで、2011年の初出品から5年連続で最高位を獲得。2014年には「Excellence chocolatier etranger(2012年までの「外国人最優秀ショコラティエ賞」にあたる)」を受賞し、日本人初となる3度目のW受賞を達成。

日本のみなさんに、自分の身近にある日常のレベルの高さを伝えたかったんです。世界では今、和食が非常に高く評価されていて、その影響から、国内でも和食が見直されていますよね。それと同じです。バレンタインになると、みんな、フランスのショコラティエに群がるけど、本当にそうか? 日本人ショコラティエじゃダメなのか? という思いがあったので、それを確かめに行きたかったんです。

――見事、成果を出して目的を達成したわけですね?

うれしいですが、受賞自体は、そんなにすごいことではないと思っています。自分がベストを尽くした作品が、たまたま世界のトップシーンで評価されたということにすぎません。それに、正直に言うと、自分としては「ん?」と思うような作品や、ずっと前からある定番作品が1位を獲ることもあります。世界が、今、日本のショコラティエに期待している味わいや素材の組み合わせが、評価されているにすぎないんです。つまり、今世界が求めているものと、今自分がいちばんいいと思っているものがイコールとは限らない、ということ。

たとえば、僕がいいと思っている視点が、世界が求める視点より、ちょっと早いということもあります。2015年に高評価を受けた、ほうじ茶や黒七味と合わせたショコラは、10年前から作っている作品です。世界で評価されることが、真の世界一というわけではなく、世界の審査員というマーケットにフィットしたという話にすぎません。

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