パイオニアまで救うのか? 問題山積の公的資金による資本増強 

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 薄型テレビがまだ高付加価値製品だった当時、画質で液晶を上回るとされるプラズマテレビは特に高額で売れた。パイオニアは需要の伸びを確かめながら100億円、200億円と小規模な設備投資を重ねて生産ラインを増強。オーディオを生産していた静岡もパネル・テレビ工場に衣替えした。積極投資の一方で、携帯電話や映像・音楽ソフトなどノンコア事業からも次々と撤退。選択と集中で着実に利益を積み上げるパイオニアは04年ごろまで「電機の勝ち組」だった。

しかし絶頂期にあってパイオニアはすでに、坂を転げる転機を迎えていた。成長著しい薄型テレビ市場に国内外大手の参入、投資拡大が加速する。特にパイオニアを焦らせたのは、02年にパナソニックが発表した世界最大級(当時)のプラズマパネル工場の建設。追い上げをかわしたいパイオニアは慎重投資の姿勢を一転、04年に転換社債で500億円を調達したうえでNECのプラズマ事業を買収する。ところが、その直後、パネルの最大口納入先だったソニーがプラズマテレビから撤退。テレビも競争激化で急激に価格下落した。この04年に発行した転換社債は、株式への転換がないまま来11年3月期に償還期限が来る。

パネル投資競争に狂乱したのはパイオニアだけではない。典型的な装置産業であり投資規模がコストと価格の競争力を決めるパネル事業では、パナソニックもサムスン電子も同じ道を進み、収益悪化に見舞われている。ただ、その痛みでパイオニアだけが経営を傾かせた。理由は企業規模の差。数兆円企業と競うドンキホーテ的な挑戦は、はたから見れば05年にすでに勝負がついていた。

プラズマ設備の減損で最終赤字に陥ったパイオニア経営陣に、証券アナリストらは「プラズマ撤退も検討するか」と厳しい問いを浴びせた。にもかかわらず撤退が遅れたのはなぜか。一つには“品質では負けない”という事業への自信、もう一つは車載機器の稼ぎでプラズマの赤字を穴埋め可能、という慢心だった。

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