ニッポン宇宙開発元年--夢とビジネスの狭間で
ちなみに、アリアンと国際市場を二分するロシアの「ゼニット」「プロトン」が開発されたのは、それぞれ85年と65年。とことん使い込まれている。客は、高性能だが能力の限界で勝負するF1より、安定感のあるトラックを選ぶのである。
輸入部品へ大シフト 産業は右肩下がり
実は、H2Aが韓国KARIの地球観測衛星を受注できたのは、いくつもの幸運が重なっている。まず、KARIが狙う軌道とJAXAの観測衛星の軌道がほとんど同じだったこと。こんな偶然はめったにない。JAXAとの相乗りが可能になり、打ち上げコストは半分になる。
韓国の政権交代も幸いした。親ロ派の盧武鉉(ノムヒョン)前大統領なら、H2Aの出番はなかった。外務省、文科省も経産省も後押しした。運と官民の力を総動員し、やっと1機。裏を返せば、裸の実力はまだまだ心もとない。
H2Aは「勝負できる機体」にしたはず、だった。1世代前のH2は部品を含め、念願の100%国産化を達成した。が、年に1個しか作らない部品まで国内調達すれば、コストはハネ上がる。H2のコストは200億円。それをH2Aへの大改造で半分に削り込んだ。「国産にこだわっていられない。いい悪いではない」(JAXA輸送系推進基盤開発室・江口昭裕室長)。強引な設計変更と輸入部品への大シフト。
日本の宇宙関連産業の売上高はピークの98年3789億円から07年は2264億円に40%落ち込み、従業員数も95年の1万人強から6248人(07年)に40%も減少した。産業の衰退は、時期的にH2Aへの切り替えと輸入部品へのシフトに対応している。産業的な“犠牲”を払ってもなお、ロシアのプロトンの価格はH2Aの「70%以下のオーダー」だ。
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