私が記者として蔡英文に初めて会ったのは、2008年の6月だった。当時は新聞社の台北特派員で、インタビューの内容を新聞に載せたあと、蔡英文から厳しい抗議があった。自分の言っている内容と違うので訂正して欲しい、という話だ。
行数の限界があるなかで、できるだけ端的にエッセンスが伝わるようまとめるため、少々表現に手を加えたところが気に入らなかったらしい。間に入っていた民進党の海外メディア担当の人をかなり困らせていた。
あとで聞くと、台湾メディアにもいつも原稿の訂正を求めることで有名で、記者たちの間では、中国語で訂正の意味である「更正」をもじって「蔡更正」と恐れられていたそうだ。そんな細部へのこだわりも、前述のようなその経歴をみれば理解できる。
あくまで「ショートリリーフ」の位置づけだったが
国際法や国際貿易の専門家である彼女は、英語を母国語のように使いこなし(英語が得意な馬英九総統の英語よりもさらに上手い)、細かい国際会議のネゴシエーションもお手のもの。おかっぱの髪形は子供時代からほとんど変えたことがなく、その笑顔にあどけなさも残る童顔で、子豚に似せたキャラクター人形も人気だ。
大学時代は同級生の男性たちにけっこう人気があったらしい。恋人を不慮の事故で亡くした経験もあるという話で、現在まで独身を貫き、飼っている愛猫がパートナーとされる。
個性が似ていると言えなくもないドイツのメルケル首相を「尊敬する」と述べている蔡英文は、あらゆる面で非の打ち所のない人なのだが、民主化運動出身者が中心で体育会気質のある民進党に、必ずしもマッチしていない部分はあった。2008年に党主席になったときは、あくまでショートリリーフの位置づけで、彼女が8年後に総統選挙でこんな風に圧勝するなど、誰も夢にも思っていなかった。
誰かが言い出したあだ名は「空心蔡」。これは野菜のクーシンサイに引っ掛けたもので、クーシンサイの中身が空洞であることから、蔡英文は理屈ばかりで具体的な中身が伴っていない、という皮肉が込められている。
そんなあだ名とは裏腹に、蔡英文の今日の勝利を早くも予感させるシーンが、4年前の2012年1月にあった。それは当時の総統選で、惜しいところで馬英九に敗れ去った日の夜のこと。支持者を前に、冷たい雨のなか、やはり淡々と、しかし、強い信念を持って語られた「敗戦の弁」は、いまも語り継がれるほどの名演説だ。
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