日本の「夫婦別姓禁止」は、いつまで続くのか 最高裁の判示に打たれた布石を読み解く
まず、「氏の持つ機能についての評価」をみていこう。多数意見は、「田中」「山田」といった氏(うじ)には、家族という1つの集団を構成する一員であることや、共同親権に服する嫡出子であることを対外的に示す機能があるから、夫婦別氏を認めないことにも合理性があると判断している。
他方、少数意見は、それは「夫婦同氏であること」を支える理由にすぎず、「夫婦別氏を認めないこと」の理由にはならないと指摘する。また、同姓であることは、夫婦や親子の証明にもならないし、別姓であるとしても、夫婦関係が破綻しやすいとか、子の生育がうまくいかなくなるという根拠もないとした。憲法問題に詳しく、法教育活動にも携わる伊藤建(たける)弁護士は、次のように分析する。
「少数意見の論理は、犬の他に猫も飼うべきかを議論しているときに、いくら『犬がかわいい』と熱弁したとしても、それは『猫を飼ってはいけない』ことの理由にはならないということと同じ。猫アレルギーがある等、禁止するための積極的な理由がなければ、そうした結論にはならないはず。同じように、夫婦同氏が合理的であるとしても、夫婦別氏を認めないことの理由にはならない。禁止をするための積極的な理由を述べていない多数意見よりも、少数意見の方が説得的だ」
夫婦同氏に、一定の意義があることを否定する人はあまりいないだろう。伊藤弁護士のあげる例を考えても分かるとおり、夫婦別氏を認めないとするためには、夫婦別氏を認めることにより生じるデメリットを具体的に示さなければならないのではないだろうか。
多数意見は、婚姻の実態に即していない
次に、「婚姻に対する制約と言えるか」という論点だ。多数意見は、夫婦同氏となるのは、婚姻したことによって生じる「効力」の1つにすぎないから、「婚姻すること」自体を直接制約するものではないと判断した。これに対し、少数意見は、夫婦別氏を認めないことは、婚姻の自由を制約していると批判している。
「多数意見は、同じ日に、最高裁が女子の再婚禁止期間について『婚姻に対する直接的な制約』であると判断したことを意識している。婚姻の『効力』とは、配偶者の相続権、嫡出子制度などのことだろう。しかし、現在の法制度では、夫婦が称する氏を選択しなければ法律上の婚姻をすることはできない。同氏になることは、単なる『効果』ではなく、少数意見のように婚姻に対する制約であると考える方が説得的と言える」(同)
正直、雲をつかむような話だが、多数意見は全く納得できるものではない。結婚したことがある人なら分かるはずだが、役所に婚姻届を出す時、「夫婦が称する氏」を必ず書く必要があり、空欄のままでは受理されないのだ。多数意見はあまりにも形式的な理由であり、これに納得する国民が多いとはとても思えない。
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