「東京タワー」が新幹線から見えるのは何秒か 東海道新幹線の「車窓」はこんなに面白い<2>

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高層ビルが少なく、見晴らしのよい馬込付近

だが、品鶴線が通る大田区馬込付近は昔ながらの住宅地。大通りはほとんどなく、細い路地に民家が密集していた。在来線に並走するとはいえ、用地買収の交渉に時間がかかれば、開業が東京オリンピックに間に合わない。

そこで、西大井から馬込までの区間は、当時日本初となる「直上高架工法」が採られることになった。現役の貨物線である品鶴線は普段通りの運行を続けながら、その真上に新幹線を通して、用地買収の手間を省くのだ。前回紹介した有楽町と同じ発想だ。

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冬の天気の良い日は富士山も車窓から見える

しかし、馬込には広い道路がほとんどない。加えて、新たな工事用地の確保を極力省くための直上高架工法だ。工事車両や資材の搬入もままならず、工事は困難を極めた。

第二京浜国道をまたぐ馬込架道橋の建設工事では、巨大な橋桁を搬入するために第二京浜を通行止めにしたが、周囲に代替道路がなく迂回路は17kmにも及んだという。

こうした”節約精神”のおかげもあって、西大井・馬込周辺には昭和の街並みが残され、それを高い位置から見晴らせるようになった。

富士山と森を横目に多摩川へ

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馬込の昭和風景を象徴した東京地下鉄の住宅。2010年までは団地が並んでいた(2009年撮影)

新幹線の車窓に戻ろう。ここは富士山も見えるE席側がよい。高架線に上がると、学校や住宅に混じって、線路の近くにいくつかうっそうとした森も見える。

最初の森は、個人の住宅。この辺りは昔からの名士も数多く住んでいる。次に、線路のすぐ横に見える森は、伊藤博文の公墓所だ。A席側から見える街並みは、かつて北原白秋や室生犀星、村岡花子など多くの文人が暮らした所で、「馬込文士村」と呼ばれている。

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東京地下鉄の住宅地はいま、大規模な工事が進んでいる

建設に苦労した馬込架道橋を過ぎると、E席側に大規模な住宅工事の現場が見える。東京地下鉄(東京メトロ)の社員寮の建設工事だ。

ここには1960年代から営団地下鉄の寮があり、2010年までは懐かしい「団地」が並び馬込の車窓のシンボル的存在だった。

馬込を過ぎると、新幹線は地上に降り、現在は横須賀線などの列車が頻繁に走る品鶴線の右側を並走する。この辺りは、建設当時まだ住宅が少なく、用地買収を避ける必要がなかった。列車はスピードを上げて、都県境である多摩川に向かう。
 

栗原 景 ジャーナリスト

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くりはら・かげり / Kageri Kurihara

1971年東京生まれ。出版社勤務を経て2001年独立。旅と鉄道、韓国をテーマに取材・執筆。著書に『新幹線の車窓から~東海道新幹線編』(メディアファクトリー)、『国鉄時代の貨物列車を知ろう』(実業之日本社)等。

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