《ミドルのための実践的戦略思考》「範囲の経済」で読み解く化粧品メーカーの営業所長・藤本の悩み

■解説:藤本さんはどうすべきか?

それでは藤本さんは何を考えるべきだったのでしょうか?

もちろん、この現状打破のために、販売員というチャネルを生かして新しい商材を乗せる、ということは検討の価値はあるでしょう。まさに顧客接点を活用した範囲の経済であり、この考えの入り口自体は否定するものではありません。

ただし、まだ入り口に立っただけであり、このまま突き進むことにはまだまだ大きなリスクがあります。

まず、前述した通り、「チャネルが生かせる」ということにばかり注目をしてしまい、健康食品の事業構造についての分析が「数人の顧客からそういう声を聞いた」というだけで終わっていることに大きな問題があります。

もう少し具体的にいえば、顧客にとっては健康食品を入手するためのルートはいくらでもある中で、なぜNBレディから購入する方がいいのか、という点を考え抜かなくてはダメでしょう。

また、訪問販売員のケイパビリティの問題も残ります。当然ながら、健康食品を取りそろえてさえいれば売れるものではないでしょう。商品知識の習得や、具体的な販売方法の理解のためのトレーニングなども必要になってくるはずです。

果たして限られた訪問販売の時間の中で、化粧品の売り上げも上げつつ健康食品も販売できる能力を持った販売員はどれくらいいるでしょうか。もし、どちらも中途半端になってしまうようであれば、それは「範囲の不経済」を発生させることになってしまうのです。

■解説:ミドルリーダーへの示唆

では、改めて「範囲の経済」に対するミドルリーダーへの示唆を考えてみましょう。

こうして考えてみると、範囲の経済は、規模の経済よりも圧倒的に難易度が高いことに気付きます。それは、一つの事業だけでなく別の事業のことも同時に併せて考える力が必要になるからです。

そこで、ミドルリーダーが範囲の経済を正しく活用するためのアドバイスは2つです。

まず1つは、全く違うビジネスについて考える力を日頃から身につけておく、ということです。今回の事例で考えてみましょう。化粧品だけしか考えてこなかった人にとって、健康食品ビジネスの事業構造について考えろ、と言ってもおそらくは思考停止に陥ることになるでしょう。いざという時に何をどう考えるべきか、その思考回路が開きません。

だから、安直に「チャネルのシナジーが効くはずだ」というような目の前に見えるものだけから考えてしまうのです。これは、典型的に1つのビジネスしか経験してこなかったミドルがよく陥るパターンです。

ではどうすればいいのでしょうか。こういう場面で問われるのは、「日頃から自分とはまったく異なるビジネスについて、どれくらい真剣に考えたことがあるのか」、ということです。

もう少し具体的にいえば、実際にあたりをつけて情報収集し、集めた情報を丁寧に解釈して、業界構造の仮説を立てていく。そして、その業界で勝つための要件を洗い出し、戦い方のオプションを出していく。そんなことを丁寧に考えられる思考スタイルが身についているか、ということです。

もし、このような思考原理が備わっていなければ、間違いなく「シナジー」という言葉の引力に負けてしまうでしょう。まず自分にそういうスキルがないという自覚があるミドルリーダーは、「範囲の経済」や「シナジー」ということを安易に語ることのリスクを認識し、丁寧に業界分析から行うことを意識するべきだと思います。

2つ目のポイントは、範囲の経済を正しく理解して使うためには、それぞれの事業構造を理解するだけでなく、より高度な全体最適の視点が必要になる、ということです。それぞれの事業構造を理解するためには、それぞれの業界構造やそこからの戦い方を考える思考スタイルが必要になるというのは先に述べた通りです。

しかし、それだけを持っていても絶対にこの範囲の経済を語ることは難しいでしょう。なぜならば、範囲の経済には、「個別最適」の視野以上に「全体最適」の視野が求められるからです。つまり、A事業で勝つためにはこういう要素が必要であり、かたやB事業で勝つにはこういう要素が必要なのだが、全社的に勝つことを考えると、それぞれこの部分は短期的には捨てなくてはならない、という判断が必要になるのです。

そしてこの考え方は、個別の事業を見ているだけの視点では絶対に出てきません。例えるならば、高度2mの視野を持つとともに、高度1万mの視野も併せ持つことが重要ということです。この高度の往復が出来るかが、いざという時に問われるのです。

上記2点のことから分かる通り、「範囲の経済」ということを現場で実際に活用しようと思うと、様々な難所にぶつかります。その複雑さを念頭に置きながら、安易に「シナジーの幻影」にとらわれることなく、基本に立ち返った粘り強い分析をしていただきたいと思います。

■参考文献:
『マネジメント・テキスト 経営戦略入門』
『企業戦略論【中】事業戦略編』
『戦略の経済学』

《プロフィール》
荒木博行(あらき・ひろゆき)
慶応大学法学部卒業。スイスIMD BOTプログラム修了。住友商事(株)を経て、グロービスに入社。グロービスでは、企業向けのコンサルティング、及びマネジャーとして組織を統括する役目を担う。その後、グロービス経営研究所にて、講師のマネジメントや経営教育に関するコンテンツ作成を行う。現在は、グロービス経営大学院におけるカリキュラム全般の統括をするとともに、戦略ファカルティ・グループにおいて、経営戦略領域におけるリサーチやケース作成などを行う。講師としては、大学院や企業内研修において、経営戦略領域を中心に担当するとともに、クリティカル・ シンキング、ビジネス・ファシリテーションなどの思考系科目なども幅広く担当する。
Twitter:http://twitter.com/#!/hiroyuki_araki
Facebook:http://www.facebook.com/?ref=home#!/hiroyuki.araki



◆この記事は、「GLOBIS.JP」に2012年6月29日に掲載された記事を、東洋経済オンラインの読者向けに再構成したものです。

キャリア・教育の人気記事
トピックボードAD
関連記事
  • 「非会社員」の知られざる稼ぎ方
  • 御社のオタクを紹介してください
  • 晩婚さんいらっしゃい!
  • 令和を生きる若者のための問題解決法講座
トレンドライブラリーAD
  • コメント
  • facebook
-

コメント投稿に関する規則(ガイドライン)を遵守し、内容に責任をもってご投稿ください。

ログインしてコメントを書く(400文字以内)
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
トレンドウォッチAD
大赤字のソフトバンクグループ<br>それでも強気を貫く根拠

収益に大きな貢献を続けてきたファンド事業がグループの決算に大穴を開けた。事態急変でも孫社長は「反省はするが萎縮はしない」。強気の理由は何か。いずれにせよ焦点は上場申請を取り下げた米ウィーの再建だが、長丁場になりそうだ。