物理学者は、数学者の肩に乗った小人なのか フレンケル教授の「数学白熱教室」最終講義
とりわけウィッテンを筆頭に、物理学者たちの仕事が、数学者たちにインスピレーションを与えるようになってきたのだ。フレンケルは本の中で、そのウィッテンの仕事ぶりを、間近に観察して書き出している。
それなのに、「物理学者は数学者の地平を再発見する」はないだろう。 それってちょっと古すぎない? こうわたしは思ったのだった。
そんな関心から、わたしは興味津々で第4回の放映を待った。フレンケルは数学と物理学の関係を、どんなふうに紹介するのだろうか。
結論から言うと、まさにフレンケルはわたしたちが論争していたその問題に切り込んできた。物理学者は数学者の地平を再発見しているのか。そもそも、なぜ物理の法則が数学で描くことができるのか。
なぜ自然の力を数学で現せるのか
フレンケルは、物理学の三つの力、電磁力、弱い力、強い力は、それぞれこの講義の2回目で習った群論のひとつであるSU(1)、SU(2)、SU(3)で現せるのだと説明した。カッコの中は一次元、二次元、三次元、での行列を現すのだが、ここでフレンケルは講義に参加している人たちにこう問いかけるのである。
なぜ、自然のこうした力が、こんな数学で現わせるのか。そもそも数学というのは人間の頭の中で抽象的思考のはずなのに、どうしてそれがたまたま自然界の力の法則に合致しているのか。
そして数学は、SU(4)、SU(5)、SU(6)・・・といった具合に無限に拡張していけるが、これは一体何なのか。自然界のまだ発見していない現象を現すものなのか。
そうしてフレンケルはやはり2015年ノーベル物理学賞をとった楊振寧のこんな言葉をひくのだ。
「いったい何で、実際の物理世界の様々な構造がこれほどまでに数学上の考えに結びついているのか、それほど不思議で、刺激をうけることはない。そうした数学上の考えは、論理と美しい思考の中でのみ導き出されたもののはずなのに」
フレンケルは、講義の締めくくりとして、アイザック・ニュートンの言葉を紹介した。それはわたしにとって、含蓄の深いまとめだった。
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