物理学者は、数学者の肩に乗った小人なのか フレンケル教授の「数学白熱教室」最終講義
そうして数学を学び始めたフレンケルは、どんどん数学の魅力にとりつかれていったのだ。そうして過酷な試練を乗り越えて数学者になったフレンケルが、今、思いもよらぬ巡り合わせによって、数学と物理学との新たな関係に光を当てようとしている。
ところで、今回の講義の下敷きとなっているフレンケルの著書『数学の大統一に挑む』を翻訳しているとき、まさに数学と物理学と関係をめぐって、担当編集者とわたしとのあいだにちょっとした論争があったのだ。それは結構面白いと思うので、ここで暴露(?)しておきたい。
さてその辣腕編集者とわたしのあいだの論争とは、どういうものか。
それは、ある章の意味をめぐってのことだった。ラングランズ・プログラムを量子物理学に拡張していくくだりを書いた第17章の訳稿を見て、編集者はこう言ったのだった。
「この章でフレンケルが言いたいのは『物理学者は数学者の地平を再発見する』っていうことですよね」
わたしはこれに納得がいかなかった。というのは、誰あろう、数学と物理学との関係に新しい地平を開いたエドワード・ウィッテンが出てくるというのに、「物理学者は数学者の後追いばかりしている」みたいな言い方は、古いだろう、と思ったからだ。
物理学者は数学者という巨人の肩の上の小人?
なるほど20世紀を通じて、「物理学者は、すでに死んだ偉大な数学者の発展の中から、使えるものを見て出して使っている。物理学者は、数学者という巨人の 肩の上に乗っている小人だ」的なことは、これでもかというほど繰り返し言われてきた。そしてそれは、正しい。20世紀物理学の日本の柱である、相対性理論 も量子力学も、過去の数学者たちの成果をありがたく使わせてもらっている。
あまりに数学は役に立つので、物理学における対称性の研究でノーベル物理学賞を受賞しているユージン・ウィグナーという物理学者は、「物理学における数学の、非合理なまでの有効性」という有名なセリフを吐いた。
けれども、近年、その関係に変化が生じている。
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