疲弊する消防団、わずかな訓練・装備と報酬で危険な任務--震災が突きつけた、日本の課題《1》/吉田典史・ジャーナリスト
昨年、筆者は岩手県陸前高田市の団員・吉田寛氏を取材した。吉田氏は地震発生時、電気店店主としての仕事のため、車で移動していた。急いで店に帰り、妻、母、次男の3人に「高台に避難するように」と伝え、自らは市の中心部で住民の避難誘導に取り組んだ。
防災無線の内容は聞いていたが、それ以外の情報を得ることはできなかった。その後、10メートルほどの津波が押し寄せてきた。慌てて車に乗り込み、住民らと一緒に高台に向けて避難をした。
途中、渋滞に巻き込まれ、波が50メートルほどに迫ったとき、車から降りて走った。波にのまれ、意識を失いかけるものの、助かった。周囲にいた住民の多くは死亡し、家族3人も帰らぬ人となった。
震災以降、班長を務める吉田氏は振り返る。
「避難誘導をしているとき、状況がわからなかった。死亡した団員も津波に関する正確な情報は知らされていなかったはず」
市では、消防団に配備されている車両に無線を備え付けていた。だが、車を離れると無線からの情報を得ることはできなかった。結局、団員51人が犠牲となった。
市は12年度から、団員約700人にデジタル簡易無線機を配備することにした。津波の到達時間や高さなどをすべての団員に連絡できるようにする。
消防団を取り巻く環境が変わりつつある
筆者は、松尾氏に尋ねた。「震災の前から、消防団の装備では大規模な災害には対応できないことはわかっていたのではないか」。
松尾氏は「問題意識の高い団員が多かった団では、トランシーバーを購入するなどして有事に備えていた」と説明し、こう続ける。
「震災前から、多くの団長や副団長、分団長などや自治体職員も装備の不備は心得ていた。震災前の時点では、現在の装備である程度の対応ができると考えていたのだと思う。あそこまで大きな災害になることは、われわれ研究者も正確には予測はできなかった」
さらに「救護被災」という言葉を使い、多数の団員が死に至った理由を語った。死亡した団員の活動で目立つのは、水門や防潮堤などのゲートを閉鎖した後、住民の避難誘導をしたことだった。足腰の弱い人や在宅治療をする人、妊婦などを避難所に運ぶために、連れ添った団員もいた。