「墨俣一夜城の伝説はウソ?」豊臣秀吉に手柄とられた"柴田勝家と佐久間信盛の失敗"
重臣が担うはずだった「墨俣の砦」建設事業
『絵本太閤記』は、豊臣秀吉の生涯を描いた江戸時代中期の読本(小説)です。その中には、永禄年間に美濃斎藤氏攻めに苦慮する織田信長の姿と秀吉の活躍が描かれています。
それによると、信長は美濃攻めの足がかりとするために、墨俣に砦を築くことを家臣に命じます。砦を築くことに成功すればそこの「城主」にするというのです。
この命令に飛び付いたのが秀吉でしたが、織田重臣・佐久間信盛は秀吉に手柄を奪われまいと自らその役目をかって出るのでした。
信長は信盛の申し出に喜んで「5000の人夫をもって、20日間で砦を築く」ことを命じます。信盛は織田領にて竹木を切らせ、それでイカダを組んで川を渡し、砦を築こうとします(3000人を護衛としたそうです)。
ところがそれを見た斎藤氏は兵を繰り出し、佐久間勢を夜襲。不案内な敵地でもあり、佐久間勢は防戦ならず、退却の憂き目を見るのでした。
信盛に代わって今度は、柴田勝家が5000人を率いて、砦の構築に挑みます。そして今回も、斎藤氏の軍勢は夜討ちを仕掛けてくるのです。勝家は信盛の失敗をよく見ていましたから、少しも騒がず、敵勢を撃退。砦の構築は成功するかに見えましたが、斎藤氏の軍勢は勝家勢の背後にも回り込んでおり、そこから攻められたことから、あわてて撤退することになります。



















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