「墨俣一夜城の伝説はウソ?」豊臣秀吉に手柄とられた"柴田勝家と佐久間信盛の失敗"
2度の失敗をうけて、信長は秀吉を召して「どのようにして墨俣に砦を築くべきか」と尋ねます。すると秀吉は「当家の人夫を用いず、当国の竹木を切らず、手勢を引き連れて、7日の内に墨俣に砦を築いてみせましょう」と豪語。
秀吉の「謀計」に期待した信長は、秀吉に砦の構築を命じるのでした。
まず、秀吉は、蜂須賀・稲田・加次田・日比野といった豪族に命じて、美濃国の山々より「一夜の内」に多くの竹木を墨俣川へ切り落とさせます。続いて、1000人の人夫に尾張にて柱や棟木などを作らせます。そして、蜂須賀小六の人夫をもって、美濃において深さ2丈の堀を掘らせ、その土を砦の土台としたのでした。
当然、斎藤氏はこの動きを見逃すはずはありません。またもや、数千の軍勢でもって、攻め掛かってきます。しかし、蜂須賀の軍勢は秀吉より「計策」を授けられていたので、斎藤氏の軍勢を散々に悩ましたと『絵本太閤記』にはあります。
時は「6月中旬」のことであり、雨がよく降り、川辺の有様はことごとく泥土にまみれていました。泥濘の中での合戦は難儀ということを想定し、秀吉は兵卒に藁靴を履かせていたそうです。
そして晴れた日を狙って一気に墨俣に進軍します。斎藤勢はこれを襲撃しようとしますが、泥土に阻まれ、進退自由ならず。
一方、秀吉勢は藁靴のお陰で自由に動くことができたので、斎藤勢を蹴散らすことができたのでした。
その後、秀吉勢は用意していた石垣・諸材を素早く運び込み、一夜のうちに砦の普請を成就させたのです。一晩のうちに忽然と出現した墨俣の砦に斎藤勢は肝を冷やし「これは天狗鬼神の所為か」と驚き、砦をすぐに攻撃することはなかったと同書にはあります。
信長は秀吉の砦構築を喜び、その功績を大いに賞し、蜂須賀小六などにも金銀を与えたとも記されています。これが有名な「墨俣一夜城」の逸話です。
“墨俣に一夜で城を作った”逸話は創作
しかし、脚色が多い江戸時代の読本に書かれていることですので、本当の出来事とは考えられていません(ちなみに秀吉の伝記『太閤記』には、秀吉が墨俣に一夜で城を築いたという逸話は記載されていません)。
秀吉が信長の美濃攻略に際し、何らかの動きをした(例えば急いで小規模な砦を作った)ことはあったかもしれませんが、墨俣に一夜で城を作ったというのは(一次史料には記載されておらず)創作と考えられます。秀吉の軍事的才能を強調するため、後世、このような逸話が創作されたのでしょう。



















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