「また、いつか、勉強してみたいな」朝ドラ「ばけばけ」で注目!明治の教育改革に庶民が激怒した当然のワケ
学制では、学校の授業料は月額50銭と定めたが、歴史学者の服部之総は「明治三、四年といえば、五十銭で米一斗買えた」と書いている。現実的に払える額ではなく、実際は、学区内の集金と寄附金によって、なんとかやりくりしていた。集金は貧富に応じて、各戸に割り当てられたが、それが運営費全体の約43%も占めていた。結局、負担は地域住民へと課せられたのである。
そのほか寄附金が19%を占めたが、その一方で、文部省補助金は12%、授業料収入は約6%だった。あまりにも補助金が少なく、それを授業料でなんとかしようというのは、絵に描いた餅。実現できるはずもない、机上の空論にすぎなかった。
割を食うのは、いつの時代も庶民たち
当然、不満は高まり、学制反対一揆が起きるほどだった。なかでも最大と言われているのが、福岡県で起きた「筑前竹槍一揆」である。一揆勢は学制の廃止だけではなく、年貢3カ年免除、旧藩の復活、徴兵・地券の廃止も要求し、焼き討ちなどを行った。
その被害は甚大なもので、4590軒の家屋が焼失もしくは破損し、死傷者は70人にものぼったという。多くの小学校が焼き討ちの対象となり、筑前には630の小学区があったにもかかわらず、無事に存続できたのは27校のみだった。
財政難となれば、政府は自分たちの身を切るのではなく、負担をすべて国民に押し付ける。割を食うのは、いつの時代も庶民たちだった。
その後、明治33年に義務教育の無償化が実現。就学率が急速に高まることとなった。
【参考文献】
大内兵衛、土屋喬雄共編『明治前期財政経済史料集成』(明治文献資料刊行会)
大島美津子『明治のむら』(教育社歴史新書)
文部省監修『学制百二十年史』(ぎょうせい)
高橋敏『江戸の教育力』(ちくま新書)
服部之総「明治の五十銭銀貨」『黒船前後・志士と経済 他十六篇』(岩波文庫)
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