「関学入学でも幸福度はゼロだった」学歴への執着と自己嫌悪で"負の4年"を過ごした彼女が早稲田再受験で手放した呪縛

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朴さんは、鳥取県に、建設系の仕事をしている日本人の父親と、調理師としてお店を経営している韓国人の母親のもとに生まれ育ちました。

小さい頃の朴さんは、目立ちたがり屋だったものの、勉強は嫌いで、授業を聞いていても気が散る子どもだったそうです。

塾やスポーツ、ピアノなどの習い事はさせてもらっていたものの、真剣に取り組むことはなく、成績もずっと悪く、同級生約120人の中で下の中くらいの成績でした。

子どもの頃の朴さん
目立ちたがり屋だったものの、勉強は嫌いで、授業を聞いていても気が散る子どもでした(写真:朴さん提供)

公立中学校に上がってからは新体操部に入り、声が大きいという理由で副部長を務めますが、成績のほうは変わらず、「ずっと最悪だった」と語ります。

「授業を聞かないといけないものだって意識がありませんでした。当事者意識がなく、ただ先生が喋っているのを声ではなく音として聞き流すだけで、新しい単元を覚えなきゃいけないって意識がありませんでした。ずっとぼーっとしている子でしたが、反抗をする子じゃないので、小学校から先生には可愛がられていました」

「まじめにやっている風に見せるのが上手だったのだと思う」と当時の日々を振り返る朴さん。ただし英語だけは成績が悪くなく、中3の終わりから覚醒し、50点満点のテストでは40点を超えるようになりました。

それでも総合的な成績は伸びなかったため、高校受験では第1志望だった鳥取東高等学校に落ちてしまい、鳥取城北高等学校の普通科進学コースに進学することになります。

担任「早稲田を目指せば?」

鳥取城北高等学校に進んだ朴さんは勉強への気合を入れ、クラスで成績が5位になりました。その甲斐あってか、2年生からは普通科でも大学進学を前提とした上のクラス、普通科志学コースに移動することができました。

高校時代の朴さん
勉強するようになった高校時代の朴さん(写真:朴さん提供)

「私はあまり勉強ができませんでしたが、ずっと賢い人に憧れていて、自分も将来そうなれたらいいなと思っていました。高校1年生の時に大学では絶対にいいところに行きたいという気持ちが芽生えたのもあって、徐々に勉強するようになりました。成績的には難しいのですが頑張っているからということで高2から上のクラスに移動させてもらい、その経験で人生がガラッと変わりました」

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