19歳でショパコン制した"天才ピアニスト"。だが、その後「足首の大手術」など試練に見舞われ…《スタニスラフ・ブーニン》の波瀾万丈な人生

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「この人がいるべき場所は家のベランダではない。ピアノが乗った舞台だ」と語る彼女はブーニンの復活を誰よりも信じ、「あなたならできるわよ」と彼を励まし続けた。

ブーニン
手術後は特注された厚底の靴を履いて、ステージに向かう(写真:Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会)

そして22年、ブーニンはついに日本のステージに戻ってきた。復帰ステージとなった八ヶ岳高原音楽堂のリサイタルでは、右足との8センチの差を埋めるために特注された厚底の靴を履き、ステージに立った。

まだ本調子ではなく、左手のコントロールに苦しみながらも、「舞台復帰を後押ししてくれたのは妻」と、あらためて榮子さんへの感謝の思いを口にするブーニンだった。

天才ゆえに見据える“高み”

そして25年。85年のショパン・コンクール優勝から40年。復帰から3年たったが、ブーニンはいまだに自分が理想とする音と、自分ができることのギャップを埋めようともがき続けていた。もちろんそれは天才ゆえの高みを見据えているから、ということもあっただろう。

だがツアーをまわるごとに、ピアニストとして一歩ずつ復活のきざしを見せはじめる。そしてツアー最終日となるサントリーホールでのリサイタル後、妻の榮子さんは“ある言葉”をブーニンに投げかける。

「わたしはただそばで見ていただけだから」と笑う彼女もまた、ブーニンとともに戦い、ともに走り続けた同志だった。その道のりは決して平坦なものではなかったが、ふたりが積み重ねた絆は、非常に温かく、そして力強いものだった。

壬生 智裕 映画ライター

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みぶ ともひろ / Tomohiro Mibu

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。近年は年間400本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、とくに国内映画祭、映画館などがライフワーク。ライターのほかに編集者としても活動しており、映画祭パンフレット、3D撮影現場のヒアリング本、フィルムアーカイブなどの書籍も手がける。

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