戦場では「前方」と「後方」に優劣はない…元・陸自幹部が【縁の下の力持ち】を評価すべしと説く納得感
エントランスには、銃弾が飛び交うなかでシャベルを握る工兵の巨大な垂れ幕。「We dear the way(我々が道を拓く)」の標語が掲げられ、ロビーにはつるはし(岩を砕く土工具)を肩に担ぎ、遠くを見据える像。そこに描かれていたのは、「縁の下」ではなく、堂々と「先頭に立つ者」の姿でした。
「工兵って、ここではヒーロー扱いなの!?」。そう心のなかでツッコんだ瞬間、気づいたのです。支援とは、「従うこと」ではなく、「導くこと」なのだと。
「自己犠牲」から「戦略的貢献」へ
文化の違いは、同じ「支援」という任務を担う工兵の役割の定義にも現れていました。
・自衛隊「自分を犠牲にしてでも、仲間のために動く裏方」
・米軍 「仲間の力を引き出し、全軍を導く存在」
どちらも「仲間のために」という精神は同じ。ただ、立ち位置が違うのです。自分を下げて支えるのではなく、前に立ち、周囲を導く。
日本では長く、「自己犠牲」は美徳として語られてきました。しかし、米陸軍工兵学校で「支援を戦略的に定義する文化」と出会い、自己犠牲を「消耗」ではなく、「未来を拓く力」に変えられると気づいたのです。
私には、忘れられない自衛隊での訓練があります。
地図やシナリオを使って、実際に部隊を動かさずに頭で戦う訓練の「図上演習」でのことです。昼夜を問わず頭を酷使し、疲労がピークに達した深夜、前線を担当していた1人が怒鳴りました。
「おい、後方支援の奴ら、これやっとけ!」
その言葉を浴びせられた後方支援担当の同期は顔をこわばらせ、以後の訓練で本来の力を発揮できなくなりました。ただ、怒鳴ったほうの彼も、責任感の塊。現場を回そうと必死だったのです。
工兵に限らず、前線を支える職種は、静かに力を尽くすがゆえに、存在が埋もれやすい。泥まみれの戦闘服を洗い、壊れた装備を修理し、被災地でお風呂を設営する。彼らは戦う力を継続するための生命線なのです。


















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