関連ブランドの売上は「150億円以上」ジャンボ尾崎さん(享年78)が遺したビジネスでの功績――企業を動かし、産業を育てた稀有なアスリート
80年代、ドライバーのヘッドの主流はパーシモン(木製)だった。尾崎さんはその大きな飛距離から、ミスをしたときのドライバーの曲がりも大きく、OBを打つことも多くなった。
それ以来、不調に陥っていったが、新しいヘッド素材であるメタル(金属製)ドライバーを87年から使用。これが功を奏して不調から脱出、88年には賞金王を取った。
当時のギアの契約先は、ブリヂストンスポーツ。だが、使用していたメタルドライバーは他社製品だった。当時の社長・山中幸博(故人)の「尾崎の使えるドライバー(開発)を時間と開発費を惜しまず、徹底的にやれ」との号令で、当時としては大型の190立方センチメートルのメタルドライバー「J‘sドライバー」を開発した(写真)。
「あのドライバーは飛ぶ」と評判
1990年のマスターズ(世界メジャー大会の1つで、プロゴルファー憧れの大会)に尾崎さんが持ち込むと、「あのドライバーは飛ぶ」と評判に。ジャック・ニクラウスなどが興味を示し、ニューヨーク・タイムズもこのクラブを取り上げた。
まさにこれが、ドライバーヘッドがパーシモンからメタルに一気に変わったターニングポイントだった。
変化したのは、ギアだけではない。ボールも超絶な進化を遂げた。


















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