関連ブランドの売上は「150億円以上」ジャンボ尾崎さん(享年78)が遺したビジネスでの功績――企業を動かし、産業を育てた稀有なアスリート
尾崎さんの全盛期である80~90年は、まさにバブル経済の真っ只中。彼の活躍とともにスポンサー企業が増加し、賞金が拡大していくという好循環が生まれていった。
当時、尾崎さんが出場する試合は熱気にあふれ、勝つか負けるかだけでなく、「ジャンボがどう戦うか」が商品価値を持った。
ゴルフの試合ではかなりめずらしい8打差逆転が4度もあるなど、何度も奇跡的なプレーを演じて、カリスマ性を高めていく。これは、プロ野球における長嶋茂雄、近年で言えば大谷翔平にも通じる構図かもしれない。
若手の「越えるべき壁」的存在
もう1つ見逃せないのは、尾崎さんが長く男子ツアーという第一線に居続けたということだ。それ自体がツアー全体の価値を高めたといえる。
2002年55歳での最年長優勝をはじめ、13年には66歳でエージシュート(年齢と同じ打数で上がること)を果たす。こうした記録は話題性を生み、話題はスポンサーとファンを呼び込むと同時に、丸山茂樹ら後進にとっては「越えるべき壁」となり、競争のレベルを引き上げた。
丸山は、自身のプロデビューからアメリカツアーに参戦するまでの間、一緒にプレーをした。尾崎さんの訃報について、NHK ONEのウェブサイトで、「ジャンボさんは目の前の大きな壁でした。40代中盤から数多くの優勝を果たしたジャンボさんの活躍を間近で見られたことはプロゴルファー人生の宝物です。(中略)私がアメリカツアーで頑張れたのもジャンボさんのおかげです。感謝しかありません」とコメント。
日本ゴルフツアー機構(JGTO)諸星裕会長も、「常に第一線での活躍で男子プロゴルフ界を長きにわたって牽引し、他を寄せ付けない圧倒的な強さで、これほど力の衰えを知らないプロゴルファーを、私は見たことはありません」 と追悼コメントを寄せた。
尾崎さんの活躍はゴルフブームを牽引して、ゴルフ産業にも多くの恩恵をもたらしたといって間違いないだろう。
彼の全盛期はバブル経済と相まって、ゴルフ場が増加していった時期だった。日本ゴルフ場経営者協会(NGK)によると、全国のゴルフ場数は73年が773カ所、80年が1416カ所、85年が1496カ所、90年が1818カ所、95年が2273カ所……と増えている。
尾崎さんの経済的インパクトは、その競技成績を支えるゴルフギア(用品)の進化を証明し、ゴルフギアを新しい時代に導いた。


















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