しかし、「一度自分で決めたこと、自分の興味を持ったことは最後までやり切らないと気がすまない性格」という小杉さんは、絶対に諦めなかった。慣れないSNSや配信も毎日こなす努力をし、最終的にファイナリストまで残った。
「結果的にはグランプリも準グランプリもいただけなかったんですが、最後までやり切れたことはよかったと今でも思っています」
「ミスコンでリベンジを」並々ならぬ決意で審査へ
もともと人前に出ることが得意ではなかった小杉さんは、フレキャン後は再び「普通の大学生」に戻り、勉学に励む予定だった。しかし、2年生になったタイミングでミスSFCの運営団体からスカウトされ、人生2度目のミスコンに出場することに。
ミスSFCは、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの学生のみを対象としたミスコンだ。現在では数少ない大学公認の団体が運営するミスコンであり、TBSアナウンサーの野村彩也子さんや、フリーアナウンサーの金井憧れさん、テレビ東京アナウンサーの中原みなみさんら、多数のアナウンサーを輩出してきた。
ただ、小杉さんはスカウトを受けてすぐにエントリーを決めたわけではない。むしろ、当初は出場には乗り気ではなかったという。
「コンテストの形式は違えど、やっぱりフレキャンでミスコンの大変さを痛感していたので、応募は迷いました。それに、ミスコンに出ることで自分の顔や名前がネットに残るというリスクもあるなと。フレキャンのときはそれを考慮しきれていなかったのですが、ミスSFCの出場前にはかなり考えました」
現代の大学ミスコンでは、SNSやLIVE配信を通して名前と顔、大学名を出して活動することが当たり前となっている。ゆえに、それらすべては半永久的にネットに残り続け、後の人生にマイナスの影響を及ぼす可能性も否定はできない。
しかし、そういったミスコンの負の側面を理解したうえで、小杉さんはミスコン出場を決めた。そこには明確な理由があった。
「フレキャンは自分なりに最後までやり切ったんですが、やっぱりグランプリを獲れなかった悔しさが心のどこかにありました。そんなときにもう一度ミスコンに出るチャンスが巡ってきたので、『リベンジしたい』と思ったんです」
負けず嫌いで、幼稚園の頃のかけっこでさえ一番でないと気が済まなかったという小杉さんにとって、一番になれなかった事実は相当に悔しいものだったのだろう。


















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